本願寺御影堂平成大修復推進事務所だより(61) >一覧へ戻る |
今回は軒巴瓦(のきともえがわら)の下に据(す)え付けられる軒唐草瓦(のきからくさかわら)について紹介します。
一般には軒平瓦(のきひらがわら)のことを唐草(からくさ)とか唐草瓦と呼んでいます。これは、軒平瓦の多くは瓦の前面に蔓草(つるくさ)が絡(から)み這(は)う形を描いた唐草文様が描かれるからです。軒唐草瓦は軒先の先端部分に取り付けられるものです。唐草瓦はいくつかの種類があり、御影堂に使われているものには、軒唐草、掛唐草(かけからくさ)、隅唐草(すみからくさ)、重箱唐草(じゅうばこからくさ)、拝唐草(おがみからくさ)、甍唐草(いらかからくさ)などがあります。
掛唐草は屋根の大きな三角形部分である妻面(つまめん)に取り付けられる瓦で、甍唐草は屋根の頂上に積まれる大棟(おおむね)に取り付けられる瓦です。御影堂で使われていた軒唐草は掛唐草や甍唐草と同じものを使用していました。隅唐草、重箱唐草、拝唐草については、次回機会をいただければ紹介したいと思います。今回は唐草瓦のなかでも軒唐草瓦について紹介します。
御影堂で使用されていた軒唐草瓦は全体で576枚あり、寛永(かんえい)、宝暦(ほうれき)、文化(ぶんか)、安政(あんせい)といった時代のものでした。大半は寛永と文化のもので、正面側には寛永、背面側には文化の瓦を中心に葺(ふ)かれていました。そのうち判断のつきにくい瓦もありましたが、調査の結果各年代の唐草瓦は、それぞれ1種類しかないことが判明しました。寛永と宝暦のものには軒巴瓦などで紹介した同じ刻印が押されていましたので、時代の特定ができました(刻印については「宗報」平成12年10月号)。文化の軒唐草瓦には「文化七庚(こうご)午年御修復御用瓦師森田平兵衛」とはっきり文化七年(1810)の刻印銘(こくいんめい)【写真9】が入っていました。安政の軒唐草瓦は「御用 洛南深草住瓦師 青山市左衛門」の刻印銘【写真12】があり、これは安政六年(1859)の銘が入る南東一の獅子口(ししぐち)と同じ刻印銘でしたので、それと同時代のものとしました。
全長が約45センチ〜47センチ、幅が36センチ〜39センチ、顎(あご)(横断面形状)の高さが8センチ〜9センチで、厚さ30ミリ、重さは10キロ前後です。
軒唐草瓦も軒巴瓦同様でもっとも時代の特徴が表れるのは、先端の瓦当(がとう)と呼ばれる個所です。この部分には唐草文様が表現されます。一般的には瓦当の幅に対する文様の幅の比率が大きいものほど制作年代の古い瓦といえます。つまり図の瓦当幅(A)に対する内径(B)の比率B/Aの値が大きいものほど古いといえます(図1)。寛永瓦では、
B/A=236o/380o=0.621
文化瓦では、
B/A=226o/388o=0.582
で「寛永瓦>文化瓦」となります。唐草文様の両脇の部分は巴瓦(ともえがわら)の瓦当に隠れてしまうので、時代が下るにつれて、そうした隠れてしまう部分は省略して、なるべく手をかけずに瓦を製作しようと考えるようになってきたと思われます。古代の瓦になるとAとBの比率が1や1に近い数値になり、瓦当の幅すべてに文様が描かれることになります。
また顎の厚みが厚いほど製作年代が古い傾向にあるといえます。古代の瓦になると、図1の断面図の点線で示すように、顎が瓦当の下端から尻に向けて直線上になるものや、幅広で浅い顎のものがあります。それが時代とともに顎の厚みが薄くなり、江戸時代になると御影堂瓦に見られ顎の形状になります。これは顎のないものや浅い顎ですと、瓦当面から流れる水が、裏を伝い、雨漏(あまも)りの原因になりますので、時代とともに改良を加えてきた結果といえます。御影堂の瓦を比べると寛永瓦の顎の寸法は取り付きの部分で45ミリほどですが、文化瓦は40ミリほどで、わずかながら時代の差が表れています。
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寛永の軒唐草瓦は1種類でしたが(写真1)、瓦当の唐草文様の横に数種の刻印が見られましたので、いくつかの製作所で作られたことがわかります。(写真2)。
また前述のように瓦当の顎が他の瓦に比べて厚くなっており(写真3)、側面から見ますと顎が三角形になっています。
その他瓦当の上の部分に、瓦幅全体に角を削(けず)り落とす、面取(めんと)りの仕事をしています(写真4)。面取り幅は中央位置で15ミリほどです。なぜ面取りをするのか、はっきりとした理由はわかりませんが、面を取ることで瓦が欠けるのを防ぐ役割や、瓦の葺きあがったときの見た目が軟(やわ)らかい印象をうけるためとも考えられます。
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宝暦の軒唐草瓦は1種類(写真5)で「大佛瓦町瓦師井上重良平兵衛」(写真6)とあり、軒巴瓦などと同じ刻印銘でした。刻印は唐草文様の左側、前述の刻印銘は唐草文様の右側に押されていました。
また唐草文様の幅は寛永のものと比べると狭(せま)いですが、文様自体はほぼ寛永のものに似せてつくられています。顎の厚みと形状は寛永のものに近いです(写真7)。
その他、瓦当上部の面取りの仕事は見られますが、瓦幅の半分ほどで行われ、面取り幅は15ミリほどです。
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文化の軒唐草瓦ははっきり特定できるものとしては1種類(写真8)でしたが、時代の特定が難しいもので文化に製作したと見られるものもありました。今回は大半を占(し)め、はっきりと文化とわかる瓦を紹介します。これは「文化七庚午年御修復御用瓦師森田平兵衛」(写真9)の刻印銘が見られるものです。この刻印銘は瓦の裏側に押されて、軒巴瓦に押されていたものと同一のものでした。
唐草文様については前述のとおり、寛永のものに比べると狭く、文様自体もやや若干異なるようです。また面取りの仕事はほとんど見られませんでした。
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安政の軒唐草瓦は1種類(写真11)で前述の「御用 洛南深草住瓦師 青山市左衛門」の刻印銘(写真12)が見られました。この刻印銘も瓦の裏側に押されていました。唐草文様についてはこちらも寛永のものに比べると狭く、文様自体は文化のものに近いように感じられ、各時代の瓦の中では一番固い感じがします。その他瓦当上部の面取りはほとんど見られませんでした。
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新調した軒唐草瓦は今回の修復で主に東側と北側に使用することになりました(写真13)。瓦当や寸法などは寛永のものを模して制作しています。
平成15年度に軒唐草瓦は取り付けられましたが、全体の36パーセントを新調軒唐草瓦が占め、寛永は23パーセント、文化が39パーセント、安政が2パーセントほどになりました。
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(京都府教育委員会)
【参考文献】
井上新太郎著『本瓦葺の技術』(彰国社 昭和55年)
西本願寺 http://www.hongwanji.or.jp/ |
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