本願寺御影堂平成大修復推進事務所だより(74) 『宗報』2006(平成18)2月号(本願寺出版社発行)掲載

御影堂の建具について(二)

 今回は御影堂外陣(ごえいどうげじん)周囲、縁廻(えんまわ)りと後門(ごうもん)に嵌(はま)る桟唐戸(さんからと)について紹介します。

桟唐戸とは

 桟唐戸とは周囲に枠(わく)(竪框(たてがまち)と上桟(かみざん)・下桟(しもざん))を組み、枠内にも縦横に桟を入れて骨組みを造り、その間に板を嵌めた扉を言います(写真1)。「扉」と書いたとおり、多くは敷居(しきい)、鴨居(かもい)に納まる引き戸ではなく、「藁座(わらざ)」と呼ばれる軸受けに納まる開き扉です。もともと日本固有の建具としてあったものではなく、鎌倉時代以降に、大陸から大仏様(だいぶつよう)、禅宗様(ぜんしゅうよう)と呼ばれる新しい建築様式とともに輸入されたものです。当初は材を組んだだけで、骨組みとなる框(かまち)や桟を長方形断面から菱形断面にする程度の、簡素なものが多かったようですが、桃山時代以降になると、框と桟が交差する個所ごとに、補強と装飾を兼ねた金具を盛んに使用し、板部分にも彫刻を施(ほどこ) すなど、単に「扉」としての機能以外に、建物を立派に見せるための工夫がされるようになります。

写真1 桟唐戸建て込み状況,広縁東正面側の修理前状況
写真1 桟唐戸建て込み状況,広縁東正面側の修理前状況

御影堂桟唐戸の概要

 御影堂には縁廻り正面に九口(くち)・18枚、側面に二口・4枚と、後門に一口・2枚、合計一二口・24枚の桟唐戸が嵌まります(図1)。檜(ひのき) 材で造られた御影堂再建当初の寛永(かんえい)13年(1636)製のものです。後門の2枚を除き、それらの高さは約4.1メートルと統一されていますが、幅はそれぞれの建具が嵌まる柱間の大きさによって異なります。特に正面側の内陣列中央間、その両脇間、一間空けて両余間列中央間に嵌る五口は、柱間が大きいため、それぞれ2枚の桟唐戸を兆番(ちょうつがい)で繋(つな)ぎ一枚分とした諸折戸(もろおれど)となります(写真2)。御影堂に嵌まる桟唐戸は、その大きさから4種類に分けられます。最も大きいものは正面側内陣列中央間の諸折戸です。高さ約4.1メートル、手先扉(てさきとびら)の幅が約0.6メートル、吊元扉(つりもととびら)の幅が約0.8メートル、厚み0.09メートルにおよびます。

図1 桟唐戸配置図
図1 桟唐戸配置図
 
写真2 桟唐戸全景(内側)修理前の諸折戸全景
写真2 桟唐戸全景(内側)修理前の諸折戸全景

 御影堂桟唐戸最大の特徴は、もちろんその大きさですが、その他の特徴も見ていきましょう。竪框と横桟(よこざん)が交差する辻(つじ)には、それぞれ八双金物(はっそうかなもの)や四葉金物(しようかなもの)と呼ばれる鉄製の金物を配しています。これらは本来、竪框(たてかまち)と横桟のほぞ(ほぞ)が抜けることのないよう、構造的な補強をするために用いられているのですが、金物を固定する鋲釘(びょうくぎ)の座金(ざがね)に金箔を押した丸座 (まるざ)を用いることで、漆黒(しっこく)の金具からわずかに金色を輝かせています。また、建具上方には、鋸歯(のこぎりば)のように山形断面を削り出した連子板(れんじいた)を嵌めるのですが、内部側はその上に松皮菱(まつかわびし)に花菱(はなびし)の紋をあしらった彫刻を施しています(写真3)。なお、内部側に彫刻しているのは、扉を開けている状態の時に見えるよう配慮されているためです(これは桟唐戸のみでなく、後日紹介する蔀戸(しとみど)についても言えます)。

写真3 松皮菱と花菱紋
写真3 松皮菱と花菱紋

桟唐戸の修理

 桟唐戸は平成16年度建具工事として補修を行いました。板や框に一部折損が見られるほか、金具の多くに錆(さび)などによる腐食がありました。しかし全体としてはなお健全な状態であり、今回は框や桟を取り外さずに傷んでいる個所のみを補修する部分修理としました。ここでは、修理の内容や修理中に判明したことを一部紹介します。

 修理に先立ち、八双金物や四葉金物などの各種金物を取り外し、防錆処理を施しました。取り外した状態を見ると、後門の2枚を除き、建具自身と金物にそれぞれ同じ数字の番付が陰刻(いんこく)されていました(写真4)。これは修理の際に取り外した金具を、修理後元通りの位置に取り付けるために刻まれたものと考えられます。また、建具に残る鋲釘(びょうくぎ)の打ち替え痕跡を数えると、外陣周囲の桟唐戸はこれまでに少なくとも2度、そして後門の桟唐戸は同じく1度、金具を取り外す修理を行っていたことがわかりました。同時に、修理回数や材料・仕様などを考慮した結果、これら桟唐戸が先述のとおり、御影堂再建当初のものであることが判明しました。

写真4 八双金物下刻字「三百三十八」と陰刻されているのがわかる
写真4 八双金物下刻字「三百三十八」と陰刻されているのがわかる

 桟唐戸の上方(または下方)に嵌まる「綿板(わたいた)」の上端面(うわばめん)(または下端面(したばめん))にも、その多くに文字が陰刻されていました(写真5)。それらは「北ヨリ八」や「北カハ一口(くち)西方」などといった場所を示すもので、建具を修理した後、元通りの位置に嵌めるためのものです。

写真5 綿板刻字「北ヨリ八」と書かれているのがわかる
写真5 綿板刻字「北ヨリ八」と書かれているのがわかる

 金物を外した桟唐戸の破損状況を調べると、2枚の扉には竪框の下軸側部分を大きく取り替える継木(つぎき)修理がすでに施されていました。しかし、修理後年数を経過し、再び軸の破損を生じていたため、再度継ぎ直すこととしました。今回の修理では、前回の際に桟唐戸に刻まれたほぞ(ほぞ)を活かしながら、より複雑に組みなおすことで、強固さを増しながらも、前回の仕事を一部後世に伝えるようにしています(写真6)。

 その他、竪框を継木まではしていませんが、軸部のみを取り替えている建具は数多くありました。これら補修された軸部は、当初用いられていた檜材を改め、桜材を使用することで、より強固なものとしていました。今回の修理でも、同様な個所については、桜材を加工し取り付けました(写真7)。

写真6 軸部継木状況   写真7 軸部補修状況
写真6 軸部継木状況
以前の補修材と新補材とを並べた状況
以前の枘を踏襲しながらも、より一体となるよう複雑に組む
  写真7 軸部補修状況

(京都府教育庁指導部文化財保護課)
※筆者肩書きは『宗報』掲載当時のものです

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