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仏かねてしろしめして

本願寺新報 2009(平成21)年1月10日号掲載
藤田 哲史(ふじた のりふみ)(本山・布教研究専従職員)

プラモデルが欲しい


カット 林 義明

 小さな頃から私をかわいがってくれた祖母が往生して7年。今もキラキラと輝く思い出を、祖母はお念仏の香りと共に遺(のこ)してくれました。

「仏かねてしろしめして...」

仏さまは、はじめからすべてご存じの上で...という『歎異抄』のなかの法語を味わわせていただくとき、私はそんな幼い頃の出来事が思い出されます。

私は当時、子どもたちの間で大流行していた、プラモデルが欲しくてたまりませんでした。

あるとき、そんな私に悪魔がささやきました。

「あそこにお金があるじゃないか!」

私はお仏壇の上に置かれているお布施を見つけました。ここにお布施を置いているのは、おばあちゃんです。

「でもあれは、取ったらあかんお金...」

「一回くらいならわからんって!」

気がつくともう、私はお金を握り締めていました。

しかし、そんな悪事はすぐにバレてしまいます。母に問いただされ、こっぴどく叱(しか)られてしまいました。

父が帰ってきましたが許してくれるはずはなく、烈火のごとく怒られ、私は涙が枯れるまで泣きつづけました。

「もうしません、どうか許して」

私は父母に頼みましたが、取り合ってくれません。さらに父は私にこう言いました。

「仏前に供えてあるお布施に手をつけるような、フトドキものは許すわけにはいかん。おばあちゃんにもしっかり怒ってもらおう。反省文を書け! おばあちゃんに読んでもらえ」

私は泣き泣き、反省文を書きました。

ごめんね・・・と言われて

おばあちゃんにまた、厳しく怒られるに違いありません。

私はおそるおそる、おばあちゃんの部屋をノックしました。中に入って今日の出来事を話し、反省文を見せました。

「すると、おばあちゃんは反省文を読み終えるなり、こう言ったのです。

「のりちゃん、この反省文、よく書けてるねぇ」

私は泣きじゃくりながらも、キョトンとしてしまいました。すると次の瞬間、おばあちゃんは私をギュッと抱きしめたのです。そして、おばあちゃんはこう、言ってくれたのです。

「ごめんね。私が、あんなところにお金を置いておったからやな。おばあちゃんが悪かったなぁ」

おばあちゃんの顔を見上げると、ポロポロと涙がこぼれていました。私も、枯れ果てたはずの涙がまたあふれてきました。

おばあちゃんの「ごめんね」は、父母のどんな叱りよりも強烈に私の心に響きわたりました。

私が悪いことをしたにもかかわらず、「ごめんね」と言ってくれた、おばあちゃん。

「二度とこんなことはすまい。大好きなおばあちゃんを、こんなに悲しますことは決してしないぞ」と、私のこころは育てられたのでした。

ご門徒からお預かりした、大切なお布施を取ったことは許せない。でも散々父母に叱られ、悲しみの岸辺にひとりぼっちで立っているこの私。もう、自分の罪深きことは痛いほどしらされた...。行き場のない、居場所のないそんな私のこころをあたたかく包みとってくれたのは、意外にも「ごめんね、そしてもう二度としないでおくれ」という、祖母の悲しみのこころと願いでした。

南無阿弥陀仏をいただく

祖母のこころは単なる孫かわいさ、ではありません。祖母は私の悲しみを、我が事と受け止め、共に泣いてくれたのです。

阿弥陀さまはこの私一人を救うには、どうすればよいか、この私一人を安心させるにはどうすればよいか、深く深くお考えくださったことでしょう。いつも一緒と聞かせる阿弥陀とならねば、安心できないあなたであったと、はじめからお見抜きくださったうえで、この私一人を見捨てたならば仏とはならない、と誓い、はたらいてくださっているのでした。

「まかせておくれ。あなたをひとりぼっちにはしないよ」

そのお慈悲のいっぱいを、今ここに「南無阿弥陀仏」と聞かせていただきます。