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私が好きになる前から

本願寺新報 2009(平成21)年7月1日号掲載
蓮谷 啓介(はすたに けいすけ)(大分・妙蓮寺副住職)

親の心子知らず


カット 林 義明

私は京都の一般の家庭に生まれ育ちましたが、今から8年前、結婚を機縁に妻の実家である大分のお寺に入らせていただきました。ですから、初めに好きだったのは阿弥陀さまではなく妻でした。
  今では多くの方のお育てによりお念仏申す身となりましたが、いつも尊くお聞かせいただくことは「阿弥陀さまは、好きになったら...お念仏したら...救ってあげるという仏さまじゃないよ。阿弥陀さまは私が好きになる前から、お念仏申す前から、私の命にかかりっきりの仏さまなんだよ」ということです。

その阿弥陀さまとの出遇(あ)いの中で、忘れていた昔のことを思い出しました。私の両親は共働きで、朝から晩まで仕事と家事に追われながら兄弟二人を一生懸命に育ててくれました。ところが「親の心子知らず」で、私は両親の言うことを聞かない子どもでした。

誰が産んでと頼んだ

特に母は口うるさく、何度も何度も細かなことを注意してくることが嫌いでした。そしてもっと嫌いだったことは、注意した後で必ず「あんたのために言ってるんでしょ」の決めゼリフです。この「あんたのため」がとても煩わしかった私は、中学生だったある日、思わず「何度も何度もうるさいなぁ。誰が産んでくれって頼んだんや」と、母親に対して決して言ってはならないことを言ってしまったのです。

ところが、次の日からも母は朝から晩まで働いて、私を高校、大学と出させてくれました。

そして、社会人になって数年がたったある日、私は妻と出あい、「この人と結婚したい。そのためには大分のお寺に入って僧侶となる」と両親に告げました。

この時、母は非常に戸惑ったと思います。私は長男でしたから、私を産み、苦労して育てるなかでいつか長男の家族と一緒に暮らし、年老いていくことを夢みることもあったのでしょう。母からはしばらく返事がありませんでした。そして数週間がたったある日、ついに返事をくれたのです。それは「あんたの人生なんやから、好きにしたらええよ」と、静かで優しい返事でした。

今になって気付かされます。その返事は中学生の頃、私があんなに嫌いだった「あんたのため」という母の決めゼリフそのものでした。最後まで全く両親の思い通りにならない私でしたが、この命は初めから最後まで両親の「あんたのため」で貫かれていたのです。

今も昔も私目当て

親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」を「如来すでに発願(ほつがん)して衆生の行(ぎょう)を回施(えせ)したまふの心(しん)なり」(註釈版聖典170ページ)とお示しくださいました。「すでに」とは「私の思いより先に」という意味です。

阿弥陀さまは初めから、お念仏しない時の私も、お念仏する時の私も、同じ力で仏にするための全(すべ)ての功徳を与えようと願い、はたらき通してくださる仏さまでした。その願いに私は遠い昔から「何度も何度もうるさいなぁ」「誰が救ってくれって頼んだんや」と背き続けてきたのです。しかし、その思い通りにならない時も阿弥陀さまは「あんたのため、あんたのため」と決して見捨てることなくお育てくださったのでした。

そんな私を救うことに一生懸命な阿弥陀さまのお慈悲に出遇い、私は母に決して言ってはならないことを言ってしまったことを思い出したのです。そこで、私の誕生日が来たとき、自ら母に電話して「産んでくれてありがとう」と言う計画をたてました。ところが、失敗です。当日の朝、携帯電話が鳴り母の方から先に「誕生日おめでとう」と言われてしまいました。母の「あんたのため」の決めゼリフは昔の話ではなかったのです。親の願いはいつでも子の思いより先に、今も昔も変わらずに、私目当てに届けられていました。

今、この身にかけて気付かされます。阿弥陀さまの親心は子である私の思いよりずっと先に、初めから「南無阿弥陀仏」とはたらき通しでした。「あんたのため、あんたのため」と私のありったけを懐(いだ)きとり、うれしい時も悲しい時も常にご一緒くださって「あなたを救う仏はもうここにいるよ」と、お念仏となって一生懸命にはたらき続けてくださいます。