み教えについて 浄土真宗の教えや歴史について
ホーム > み教えについて > みんなの法話 > アイアム ブディスト

アイアム ブディスト

本願寺新報 2009(平成21)年7月20日号掲載
坂上 良(さかのうえ りょう)(布教使)

〝光り輝く島〟


カット 林 義明

今から3年前、仕事でスリランカに行きました。学界では諸説ありますが、スリランカでは釈尊が亡くなられて2550年目に当たるとのことで、仏教会主催の式典が催されました。政府要人や宗教界の来賓を迎えた盛大なものでした。

5月のスリランカは照りつける日差しが強く、ホテルに戻ると軽い頭痛を覚え、ベッドにへたり込んでしまいました。スリランカという国名には「光り輝く島」という意味があります。灼熱(しゃくねつ)の太陽の光だけではなく、仏さまの智慧の光に照らされる島、という意味も込められているのかも知れません。

国民の7割が仏教徒で、町の至るところに仏像が安置されています。「ウェサックのポヤ・デー」という行事の最中で、学校には釈尊のご生涯を描いたモニュメントが飾られ、家々には色とりどりの灯籠(とうろう)が掲げられます。

驚くことに、キリスト教の教会にも仏教徒の象徴である仏旗がはためいていました。スリランカ国民の寛容さを垣間見た思いでした。

内戦のただ中で

1983年、政府と反政府組織「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)との内戦が起こります。外国の仲介による停戦後も、政権交代のたびに情勢は一進一退を続けました。

そして昨年、政府は停戦合意を破り、遂に今年に入りLTTEは壊滅的打撃を受けたと報じられました。この内戦は宗教対立だと見られがちですが、独立を志向するタミル人と、それを阻止したい政府軍との対立なのです。

私が訪問した時もテロが頻発し、緊張した空気の中での入国でした。警備の兵士が持つ自動小銃をこの時、初めて間近で目にしました。

わが善き親友なり

ある日、時間の合間を縫って、一人で町に繰り出しました。「スリーウィラー」というオートバイ型のタクシーを拾い、運転手にガイドブックの地図を見せ、目的地を目指します。

水上に浮かぶお堂の奥に3人の少年僧がいました。聞けばタイ、ビルマ(ミャンマー)、ベトナムから来ているのだそうです。日本人の私も含め、国籍は違いますが共に仏教徒であり、この空間で偶然出あえたことの不思議を感じずにはおれませんでした。

次に彼らがまとっていた袈裟を求めるため、仏具店に向かいました。黄、だいだい、えんじの3色があり、出身国により好む色も違うそうです。私はだいだい色の袈裟を選びました。梱包(こんぽう)された袈裟を店員の男性から受け取りながら、私の頼りない英語で語りかけました。

「アイアム ジャパニーズ ブディスト」

すると男性は「ちょっと待っていてね」と言い残し、店の奥へ入っていきました。

まもなく小さな白い箱のようなものを手にして戻ってくると、私にこう言ったのです。

 「私も仏教徒です。あなたは私の友達です」

 手渡されたプラスチック製の小箱には金色の小さな仏さまがいらっしゃいました。

その時、お経の一節を思い出しました。 教えを聞いてよく心にとどめ、仏(ほとけ)を仰いで信じ喜ぶものこそわたしのまことの善き友である (現代語版聖典『浄土三部経』83ページ)

 国籍や宗教、性別、外見など〝違い〟を挙げればきりがありません。その違いに執らわれ、心の壁を高く築くことで差別心と憎悪は増し、争いを生み出します。

触れ合ったことのない人々に対し「あの国は」「あの宗教は」と枠にはめて見ることで、ありのままの相手に向き合うことを自ら妨げているのです。

 スリランカでの出来事を思い出すと、今でも暖かい気持ちになります。小さな出あいが無限に広がる大きな世界を教えてくれました。

ニュースでテロや報復による被害を聞くと、「あの子は元気かな?」「あの親子は無事だろうか?」という思いが胸をよぎります。光り輝く島の友達のことを、プレゼントされた仏さまの姿を通して身近に感じられるのです。