よき人に導かれて
石田 太郎(いしだ たろう)(石川・乗敬寺住職)
「死」について考える
カット 林 義明
今年上半期のビッグニュースといえば、映画「おくりびと」(私も2シーンですが出演してます)のアカデミー賞受賞があげられるでしょう。作品については人それぞれ、いろいろな見方や感じ方があると思いますが、多くの人々が「死」について今一度考えてみる大きな機縁となったのではないでしょうか。
私自身もこれまで多くの人との死別を経験しました。お盆の季節を迎え、あの人も、この人も・・・と思いが巡ります。そんな中のお一人に、大和(やまと)きくゑさんというおばあちゃんがいます。
10年前のことです。金沢で住職をしていた父が亡くなり、その跡継(あとつ)ぎの話が、東京で役者をしている私にきました。私は大いに悩みました。というか、ご辞退するつもりでいました。
というのも、亡くなった父も住職になるまでは長年、東京で役者をしていたため、私自身は一度も金沢のお寺で暮らしたことがなかったからです。学生時代から舞台に立ち、お寺とは正反対ともいえる芸能界ひと筋の人生だったからです。
金沢では、そんな私をいろんな方が励ましてくれました。
「みんなで協力するから大丈夫」「10年後、絶対よかったと思うから、やりなさい・・・」
しかし、なかなか決心がつきません。ある時、大和のおばあちゃんが私に言いました。
「わたしの葬式はな、あんたがするんや。あんたがやらんでだれがする。わたしはあんた以外に葬式はしてもらわん」
おばあちゃんの声、言葉の響き、その表情から、私は直感的にお寺とご門徒との理屈を超えた深い深い絆(きずな)を感じました。
その言葉で住職となることを決心しました。180センチある私に比べると、小さな小さなおばあちゃんです。その小さなおばあちゃんが、私の大きな背中をドーンと押してくれたのです。
万感胸に迫る正信偈
それから数年後、おばあちゃんは足が悪くなって病院に入院しました。私は金沢で法事をつとめた帰り道、おばあちゃんのお見舞いに行こうと思い立ちました。しかし、法衣姿で病院に行くのは・・・と、少し遠慮気味に病室を訪ねました。すると、おばあちゃんは大喜び。私が「法衣のままで・・・」と言うと「有り難い、有り難い」と感謝され、同室のおばあちゃんたちも「お寺さんはその方が有り難いよ」と一緒になって喜んでくれました。私はまた一つ、おばあちゃんから住職としてのお育てをいただいたと感動しました。
やがて、そんなおばあちゃんとも今生(こんじょう)の別れの時がやってきました。お葬式の導師はもちろん私です。「きみょう、むりょう・・・」とおつとめする正信偈(しょうしんげ)は万感胸に迫り来る思いでした。
「癒し」を超えて
私は現在、8月29日からNHKで放映の土曜ドラマ「再生の町」の撮影中です。財政破綻(はたん)した自治体の再建プロジェクトを描いたドラマですが、私は苦難多きこの人生においても、お念仏に出あうことによって、再び「強く明るく生き抜く」ことができると、おばあちゃんとの出会いを振り返りながらしみじみと思いました。
親鸞聖人は自らを「煩悩具足(ぐそく)の凡夫(ぼんぶ)」とおっしゃいました。煩悩だらけのこの身であると知らされ、懺悔(ざんげ)するそのままが、仏さまの確かな智慧の光に照らし出されたこの私の姿でした。生死(しょうじ)の迷い、煩悩の身を生き抜く真実の智慧が、南無阿弥陀仏(お念仏)としてこの私に今、届けられています。
100年に一度の大不況といわれる中、人々は眼前の苦境にあえぎつつ、ささやかな心の「癒(いや)し」を求めて暮らしています。しかし、私は「癒し」とは「甘え」に通じるのではないかと思うのです。苦悩を苦悩だとしっかり受けとめるところに、人生を生き抜く力、根源的エネルギーが与えられる。それがお念仏の世界です。
「倶会一処(くえいっしょ)」(倶(とも)に一つの処(ところ)で会う)というお言葉が『阿弥陀経』にあります。凡夫の私たちがこの世の縁尽(つ)きた時、お浄土で仏となって再び会えるというのです。お浄土があればこそ、苦難多きこの人生をお念仏とともに力強く生き抜けるのです。
人生には必ず最後の別れが訪れます。しかし、その「別れ」さえも真実の「出あい」に転じてくださるのが親鸞聖人のみ教えだと、大和のおばあちゃんが今、私に教えてくれています。










