一人じゃない
亀井 真隆(かめい しんりゅう)(本山・布教研究専従職員)
なんでも母の手作り
カット 林 義明
衣替えの時のことでした。小さなかわいいマフラーとセーターを見つけました。それらは私の連れ合いが息子の2歳の誕生日プレゼントとして、夜を徹して編み上げたものでした。
その編み物を手にしたとたん、私は亡き母のことを思い出しました。
私の母は3年前の54歳の時、がんで亡くなりました。
母は、体型はぽっちゃりしていて、すごく明るく、裏表のない性格でした。家族や友人に対しては、相手のためになると思うことであれば見過ごすことができなくて、時にはズバッと物を言う人でしたが、私はそんな母が大好きでした。また母は大変器用な人で、服だけでなく、かばんや財布に至るまで、何でもよく作ってくれました。
子どもの頃の私は、母の手作りの品が好きでいつも身につけていました。しかし、小学4年生の時、友人にからかわれて以来、一切身につけなくなりました。ですから、今となっては何一つ私の手元には、残っておりません。
なぜ、一つでも残しておかなかったのか・・・と、後悔しています。
身につけなくなった時も、母は黙って何もいいませんでしたが、きっとさびしい思いをしていたと思います。
今、二十数年の時を経て、子どものために嬉々(きき)として手を動かす連れ合いの姿に、やっと"母の思い"に気付かせてもらうことができました。
慈しみの心が形に
私は編み物はできませんので、その時まで全く気付いておりませんでしたが、一言で"編む"と言いますが、いろいろな手順が必要であるということを、教えてもらいました。
一つは、「糸の選択」です。糸選びのポイントは、まず糸の性質。その次に色合いです。着てくれる・身につけてくれるであろう人に合う物、そして似合う色を選ぶ必要があります。
二つは、「編み方」です。編み方によって編み棒を交換したり、編む強さを変化させる。ことに幼児は成長が著しく、常にサイズを測りながら、ピッタリになるように編み続けていき、サイズが合わなくなったときには、編み直しがきくようにしてあるのです。
三つは、「作業時間」です。育児や家事の合い間をぬって、時間を作り出す工夫をして、ひと編み、ひと編み、子どもの寝顔を見ながら、心を込めて編み上げていきます。
ある日、連れ合いが私に向かって「お母さんたちの時代なら、手作りするのが当たり前だったかも・・・。でも、今は買った方が、手間や材料費を考えるとねぇ・・・」と言いながらも、さもうれしそうに我が子のために、せっせと手を動かしていました。
編み物に励む姿を見るにつけ、母なるが故に、子どもに対する思いや願い・慈しみの心が、形になって仕上げられていたことに気付かされたのです。
お念仏は呪文でない
そんな母が子を思い編む編み物を通して、仏さまが私に合わせ、私のために仕上げてくださった"はたらき"こそが、「南無阿弥陀仏」でありましたと、気付かせていただくことができました。
阿弥陀如来は、極楽浄土というさとりの世界に止(とど)まっておられるのではなく、いつも私のために、休むことなく日夜はたらいてくださっています。そのはたらきが、私の口に「南無阿弥陀仏」と現れてくださっています。
ですから、お念仏は決して呪文などではありません。お念仏は、阿弥陀さまの「私を一人ぼっちにしておくことができない。捨てておくことができない」という願い・誓いが言葉となって、現れ出てくださったものです。
私たちは、いろいろな出来事に遭遇し、その出来事に振り回されて毎日を過ごしています。そのためか、阿弥陀さまのおこころ・はたらきになかなか気付くことができません。
この口に「南無阿弥陀仏」と出てくださるたびに、私は"決して一人でなかった"と気付かせていただき、日々を精いっぱい生き抜かせていただきたいと思っています。










