「0(ゼロ)からの風」に出あって
矢田 俊量(やだ しゅんりょう)(三重・善西寺住職)
映画のワンシーン
カット 林 義明
「うっぜぇんだよっ おばさん! 俺たちは事故起こすようなヘマも 起こされるようなヘマも しねぇんだよ!」
ある映画のワンシーン。街頭で田中好子演じる「茂木圭子」が交通事故に関(かか)わる刑法の厳罰化を求める署名活動を行っている。その時、交差点の横断歩道上に違法駐車をして、素知らぬ顔でその場を離れようとする若いカップルが彼女の目にとまる。彼らのもとに歩み寄り、交通ルールを守るように注意する圭子。そのあまりの執拗(しつよう)さにいらだつ若い男が圭子に向かって言い放った言葉が、最初のセリフ。
交通事故なんて自分には関係ない・・・そんな「社会の無関心」が圭子の闘うべき敵だった。
生命(いのち)のメッセージ展
この映画「0(ゼロ)からの風」は鈴木共子さんという実在の人物をモデルに制作されました。
「突然奪われた息子の生命・・・、母親は厳しい現実と闘い続けた」と映画のコピーにもあるように、彼女は飲酒・無免許・無車検の加害者が運転する暴走車に、母子2人暮らしの息子・零君19歳をひき殺されました。そしてこのような悪質な交通犯罪にもかかわらず、加害者に科せられる刑罰があまりに軽いことに憤りを感じ、同じ思いの遺族と共に刑法改正に動きだしました。そして、2年かけて全国で約37万人の署名を集め、一般市民による初の法改正となる「危険運転致死傷罪」の新設を成し遂げたのです。
しかし、「厳罰化だけで事故はなくならない、すべての人に『いのちの重さ・尊さ』を伝えていかなければ」と思い至り、造形作家である彼女は「生命(いのち)のメッセージ展」を始めたのでした。
このメッセージ展は〝理不尽に命を奪われた犠牲者"が主役のアート展です。彼らの等身大の真っ白なパネルには、元気な頃の写真が掲げられ、その足元にはお気に入りの靴が置かれています。写真の下にはその方の人となり、叶(かな)えるはずだった夢、遺族の切ない思いなどが綴られています。そこには奪われたいのちの重みを決して忘れないでほしい、悲惨な事故を二度と繰り返さないでほしいという切なる願いが込められています。これらのオブジェが「いのちの重さ・尊さ」を伝えて、全国各地で大きな反響を呼んでいます。
この映画は鈴木共子さんの刑法改正の活動とメッセージ展の開催を描きながら、交通事故の悲惨さを社会に伝えようとしています。
出あいと気づき
私は平成18年に地域の小学校で「生命のメッセージ展」の開催にかかわって以来、多くのご遺族に、そして、この映画に出遇(あ)いました。
「メッセージ展に来ると、同じ体験をした仲間に会える。だから安心して泣いたり笑ったりできるんだよね」
私はご遺族の言葉に、彼らの厳しい現実を憂いながらも、ふと「仏の慈悲」を思いました。
「慈悲」の「悲」は梵語(ぼんご)「カルナー」の訳で、原意は「呻(うめ)き」とあります。人生の苦痛に呻き嘆いたことのある人のみが、苦しみ悩んでいる人と真に同感でき、その自分の中にある同苦の思いが他の苦を癒(いや)さずにはおれないという救済の思いとなってはたらく、それが「悲」です。
しかし、ご遺族からお話を伺うたびに痛感するのは、被害者遺族の苦痛は体験がなければ〝わからない"ということでした。映画で圭子らの活動を支え続けた報道記者・上杉も、ふとした不用意な発言に圭子から厳しく突き放されます。
「あなたも加害者ではなく、被害者の家族になってみればいい。そうしたらあなたも私の気持ちがわかるわ」
この言葉に、彼らの苦痛を"わかる"ことの難しさを思い知らされました。しかし、〝わかろう"とし続けること、そして、〝わかろうとしない"社会の厳しさに共に苦悩することの大切さもこの映画から知らされました。
「被害者遺族の本当の苦しみ・悲しみを知ってください」
「もうこれ以上加害者も、また、私たちと同じ思いをする被害者も出したくないんです」
この映画に込められたメッセージは、今後も全国の上映会で多くの人々の心に届けられていきます。「社会の無関心」の闇を晴らすために。










