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本願力に遇(あ)う

本願寺新報2009(平成21)年10月10日号掲載
三島 晃映(みしま こうえい)(岐阜・善長寺住職)

最後のことばは・・・


カット林義明

私は昭和19(1944)年の12月に召集令状を受け、中国に派遣されました。初年兵の教育を終え、幹部候補生教育が終わろうとした頃、私は突然、高熱を発しました。軍医の診察を受けた結果、腸チフスの疑いがあるため即日入院せよ、という診断が下されました。

その当時、われわれが最も恐れていた病気に、中国の風土病といわれた流行性脳脊髄(せきずい)膜炎がありました。この病気の特徴は、空気感染で、十日ほどの潜伏期を経て発病するとされ、その病原菌に脳や脊髄を冒されると高熱が何日も続き、うわごとを繰り返す末期的症状が現れ、やがて死に至るという極めて死亡率の高い病気でした。

ある日、この病気に感染した初年兵が入院してきました。それから数日後のことです。苦しさのあまり発するうめき声が、深夜の病室に響くようにして伝わってきました。そのうちに、何度もうめき声をあげる合間に、誰かをよぶ声が聞こえてきました。

その声は、まぎれもなく母親をよぶ声でした。

    「お母さん・・・」
    「お母さん・・・」

その声はやがて跡絶(とだ)え、ついに息が絶えてしまいました。

母親の真ごころが

その頃、若い日本兵の多くが息を引き取る時、「お母さん」と言いながら死んでいったと聞かされていました。弱年にして兵役に服せられ、まだ宗教にも縁が薄かったであろう多くの若者たちが最期に口にした「お母さん」というよび声は、宗教的言語にも値する真情の吐露に違いないと私は思うのです。

その日のうちに荼毘(だび)に付することになり、僧籍をもっていた私に葬儀の執行が命じられました。早速、携帯していった聖典や輪袈裟、念珠を取り出し、ご本尊を安置して静かに「正信偈」を読誦しました。

その時、亡くなった若者の遺体は燃え盛る炎の中にありながらなおも「お母さん」とよび続けているかのような、真に胸に迫る葬儀でした。

私はこうした事実を目の当たりにして、これはいったいどういうことなのかと思いました。

病床で「お母さん」とよんでいたのは、もちろん子ども自身です。しかし、死期の迫った子にはたらきかけ「お母さん」と言わせたものがあるのではないか・・・。

それは遠く隔たる故国から「どうか元気な姿で帰ってきておくれ」と、ひたすらわが子の無事を願う母親の真ごころが、わが子の心を揺り動かし「お母さん」とよばせたのではないかと思いました。

如来の功徳この身に

ある科学者の次のような言葉が思い浮かびます。

「科学は人間が頭で考え実験して知る世界である。宗教は人間の頭で知る世界ではなく、向こうから大いなるものによって知らされる世界である。知る世界は事実の世界であり、知らされる世界は真実の世界である」

お念仏を申す、と言いますが、実は私ではなく、阿弥陀さまのほうから「どうしても救わずにはおかない」という大きな願いをかけて、今も私を喚(よ)び続けておられるのです。いつでも、どこにいても、阿弥陀さまのご心配の中に生かされているこの私です。その阿弥陀さまの大悲のおこころが私に届き、お念仏となってくださっているのです。

親鸞聖人は「高僧和讃」に、

本願力にあひぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水(じょくすい)へだてなし
(註釈版聖典580ページ)

と示されました。

「救わずにはおかない」という阿弥陀さまの大いなる願いに出遇(あ)う人は、空(むな)しく過ぎていくことがない。すべてのことに深い意義を感じる身となるのです。自分に都合のいいことも悪いことも、しっかりと受け止められるのです。この私は煩悩だらけの身ですが、阿弥陀さまの功徳が身に満ちて、煩悩の濁った水も往生成仏の妨げ(へだて)にならない、と聖人はおっしゃるのです。

あれから64年が経ちました。往時の記憶をたどりながらお念仏とともに戦友の死を悼む今日この頃です。