お骨になったって・・・

本願寺新報 2010(平成22)年4月10日号掲載
打本 厚史(うちもと あつし)(北海道・専証寺住職)

胸がつまりそう

カット 林 義明

親鸞聖人の兄弟子・聖覚法印(せいかくほういん)が書かれた『唯信鈔(ゆいしんしょう)』というお書物があります。

親鸞聖人も大切にされていたものですが、その結びのところに、「今生(こんじょう)ゆめのうちのちぎり(契り)をしるべとして、来世さとりのまへの縁を結ばんとなり」(註釈版聖典・1356ページ)というお言葉があります。

「ともに過ごした人生は夢のように過ぎてしまったが、この娑婆(しゃば)でのご縁は、実はともにお浄土に生まれる前の不思議なご縁だったんだよ」と私におっしゃっているような気がして、胸がつまりそうになるときがあります。

もう聞きたくない

奥さんが亡くなって四十九日(しじゅうくにち)。その法要のとき、ご主人に「奥さんが逝(い)かれてからどんな感じですか」とお聞きしました。

「お医者さんから、がんだって聞かされて、しばらく動けなかった。先生(医師)は奥さんにも説明しますって言うけど、2回も聞きたくなくて・・・。おれはもう聞いたから、お前聞いてこいって、家族と一緒に先生のところにやった。身体がいよいよ悪くなってから、家内がそのときのことを怒るのよ。『あの時、一緒に聞いてくれなかった』って。1回聞いたらじゅうぶんだって言ったら、キッとした顔してビンタされた」

奥さんが逝かれてから、いろんなことを考えた時間の中で、一番思うことは奥さんに「すまなかった」ということだったのでしょうか。

ご主人だって、奥さんが部屋に帰ってくるまで、どんなにつらい思いで待っていたのだろうか・・・、と思いましたが、私はわざとこんな言い方をしました。

「そりゃ、怒るわ。なんで一緒に聞かなかったのさ」

「2回も聞きたくなくてな」

「そうだよね。奥さんもわかっていたと思うけど、それでも何で一緒にいてくれないんだ、と思ったんだろうね」

「そうだな」

と言ったあと、こんなことをお話されました。

「骨箱抱えて、帰って来たとき、近所の人が骨箱を撫(な)でながら、『お骨って拾ってすぐは箱の中でカサカサって音するんだよね』って言うからよ、せめてその音を聞きたくて、みんな寝てから、骨箱の前に布団敷いて、横になったのよ」

「それで音は聞こえたの」

「いや、無理やり詰め込んだから、音はしないんだな。今聞こえるか、今聞こえるかと思っている間に、朝になってしまってよ」

「それじゃ余計に切なくなってしまったろさ。そして、どうしたの」

「どうしたってか。『おい、お骨になったって返事くらいできるべ』って、怒鳴ってやった」

そう聞いたとたん、二人で声を上げて笑いながら、泣きました。

みんなよび声のなか

お骨が返事をするなんて無理な話です。でも、声くらい聞かせてくれたっていいじゃないか、と思うのです。普段、慎重な物言いをする人の素直な言葉だけに、その気持ちはよくわかりました。

愚かといえば愚かなことです。でも、その愚かさや弱さが今まで気付かなかったことを教えてくれるのです。

この四十九日から最初の月命日に、お宅にお参りしたときのことです。

私は、「お浄土があるって、なんかうれしいよね」と言いました。

なんと言われるかなと思っていたら、ニヤッと笑って、涙を拭かれました。

そのご主人も昨年往生され、4月初旬に1周忌を迎えました。ご家族にとって大切なことを受け取る時間になるように願い、法事をつとめました。

私たちは、いつの日か必ず別れる日を迎えます。

でも、あなたも私も、如来の「十方衆生(じっぽうしゅじょう)よ」という喚(よ)び声の中にあります。

夢のように過ぎていった人生、何もしてやれない、何もしてやれなかったあなたとの出会い。

でも、この悔い多き娑婆のご縁は、ともにお浄土に生まれる前のご縁だったことを仏法は教えてくれます。

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