私を照らすはたらき

本願寺新報 2010(平成22)年10月10日号掲載
楠 眞(くすのき まこと)(岐阜・縁覚寺住職)

頑張ってきたけれど

カット 林 義明

季節の移ろいの中、懐かしい知人の訪問を受けました。知り合ったのは、彼が学生の頃なのですが、卒業後どんな生活をしていたのか、知る由(よし)もありませんでした。訪問の数日前に突然の電話で、「いろいろとお話したい事があって・・・、聞いていただけますか?」とのことでした。

私は「話を聴くだけならいいですよ。でも、アドバイスを求められると・・・、ちょっと困るかな?」と応えておいたのです。

彼はやって来るなり、家族のことを語り始めました。親ごさんとの関係、子どもさんとの関係、そして事業を起こして頑張ってきたこと、その過程で大病を患ったこと、病気を通して知り合った人たちのこと、そして最後に夫婦関係のことを語ってくれました。それは一気にあふれ出すような語り口で、瞬く間に3時間近くが過ぎました。まるで彼の卒業後の人生物語のすべてのようでした。

彼は学生時代から、体育会系で頑張り屋さんでした。そんな性格と姿勢は少しも変わっていなくて、話を聴いていて相変わらずパワフルだなと感じて、そのことを彼に伝えると、「そうですよ。ポジティブ・シンキング(肯定的発想)とプラス思考が私のすべてだと思って頑張ってきたんですから」と言うのです。そして続けてこうも言うのでした。

「でも最近、このポジティブ・シンキングとプラス思考、ちょっと違うんじゃないかと感じてるんです」

私が「それって、どういうこと?」と尋ねると、「家の外で出会う人には笑顔をふりまいて、一緒に頑張りましょうねって。でも家族に対しては、眼をつり上げて、私がこんなに頑張ってるのに、どうしてもっと頑張れないのか・・・」と。

親ごさんにも、子どもさんにも、連れ合いさんにも、そのように要求する自分がいて、そういう自分が「醜(みにく)くて、嫌(いや)なんです」と言うのです。「私って、醜いのです。どうしたらいいですか?」というのが、私に対する彼の問いかけでした。

人と人との関係こそ

私自身が日頃から感じていることですが、人生で一番つらいことは人間関係の上に起こるということ。逆に、人生で一番うれしいことも、やはり人との関係性の上に起こるということです。

例えば、素晴らしい景色に出合ったときの感動。美しいメロディーや自分を励ましてくれる歌を耳にしたときの感動。いかにも元気をもらえそうなおいしいものを口にしたときの感動。これらは、それぞれに素晴らしい体験ではあるのですが、やはり人との関係の中で感じる親密さのこと、いわゆる心底理解し合えたときの感覚、何かを共に感じ合っていることなど、これらは他とは比較にもならないのではないでしょうか。あなたと出会えて本当によかったという、あの感覚です。そこには、人として感じる絶対の喜びと感謝があるように思うのです。

訪ねてきた彼は、それこそ人生に苦悶(くもん)しながらも、同時に生活の中で味わった喜びもたくさん語ってくれました。そして、帰り際になってから、いのちについてのことも語ってくれたのです。

「私はずっと過去にさかのぼって、ご先祖さまや今まで出会った人や、いろんな人に支えられて今の私があるんですよね。感謝しないといけないなと思うんです」

「いのちの連鎖のこと?」と尋ねると、続けてこうも言いました。

「私がいろんないのちに支えられているんだということを、子どもたちや、出会ういろんな人にも伝えていきたいんです」

実際に、そのような絵本も見つけたのだというのです。

彼が帰った後、私なりに思いをめぐらせました。「醜い私」を自覚させたもの、同時に一連(ひとつら)なりのいのちを自覚させているものは何か?

それは、真実というものが、今ここに私に向かって、はたらき続けているという事実でした。そうであればこそ、苦悩しながらも生きていける。すべてのいのちを、照らし護(まも)り続けるという真実のはたらきによって、私自身の人生への信頼と安堵(ど)が成り立っているということでした。

彼の訪問によって、そのことにあらためて気づかせていただき、私に感謝が生まれました。

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