仏さまのこころとは

本願寺新報 2011(平成23)年2月 1日号掲載
日南 剰円(ひなみ じょうえん)(富山・長福寺住職)

おこころをいただく

カット 林 義明

浄土真宗の門信徒にとって、ご本尊は、言うまでもなく阿弥陀さまです。私たちの先人は、悲しい時、うれしい時、腹の立った時、それこそ毎日毎日、何があってもなくても、阿弥陀さまと向き合い、「ナンマンダブ、ナンマンダブ」とお念仏申しながら暮らしてきました。

そして、日々の生活の中に起こってくるさまざまな問題を、その都度、阿弥陀さまに相談し、自分とまわりの世界のあり方を問い、生きてきました。

言うなれば、阿弥陀さまのおこころ(願い)をいただき、生きる力としてきたのです。

蓮如上人は、「信心獲得(ぎゃくとく)すといふは第十八の願をこころうるなり」(註釈版聖典・1192ページ)と「御文章(ごぶんしょう)」にお示しくださいました。

阿弥陀さまのおこころを、わが身にいただいて生きなさいとの実に明確なお示しです。

それでは、阿弥陀さまのおこころをいただくとは、どういうことをいうのでしょう。

念仏者、教育者として知られた東井義雄先生のご本の中に、『次郎物語』で有名な下村湖人(こじん)先生の「おかあさんのかんじょう書き」というお話が紹介されていましたので、要約してご紹介します。

〝みんなただ〟

進君という少年が、学校へ出かける時、前夜書きつけた紙片を二つに折って、お母さんの机の上にそっと置いて学校へ行きました。紙片には次のように書いてありました。

請求書
一 市場へのお使い代 十円
一 マッサージ代   十円
一 お庭のそうじ代  十円
一 妹をつれて行き代 十円
一 婦人会の留守番代 十円
            進
お母さんへ

進君のお母さんは、これを見てニッコリしました。そして、その日の夕食の時、今朝の請求書と五十円が、ちゃんと机の上にのっていました。進君は大喜びで、お金を貯金箱に入れました。

その翌日、進君がごはんを食べようとすると、机の上に一枚の紙があります。開いてみると、それはお母さんからの請求書でした。

お母さんの請求書
一 ハシカの看病代 ただ
一 学校の本代、ノート代、えんぴつ代 みんなただ
一 毎日のお弁当代 ただ
一 冬のオーバー代 ただ
一 進さんが生まれてから、今日までのおせわ代 みんなただ
         お母さん
進さんへ

このお話の中には、私と阿弥陀さまのつながり、阿弥陀さまのおこころをいただくとはどういうことなのかというヒントがあると思います。進君とお母さんに、私と阿弥陀さまが重なってくるように思えるのです。

進君は自分がしたことを請求書としてお母さんに送りましたが、お母さんが自分にしてくれたことは「みんなただ」でした。つまり、進君は親に請求書を出すより先に、お礼と感謝という領収書をお母さんに送るべきだったのでしょう。そのことに進君は気付かされたのです。

このように心がひるがえることを「回心(えしん)」といいます。「摂(おさ)め取って捨てない」という阿弥陀さまのおこころをいただくことが、まさに回心なのです。「みんなただ」というお母さんの言葉には、いつも進君を心配しているお母さんのこころ(願い)がありました。そして進君に芽生えた、大好きなお母さんのためには何でもしてあげようと思うこころも、進君がつくったこころではなく、お母さんの言葉からいただいたこころでした。

阿弥陀さまの親ごころ(願い)は、私たち一人ひとりに南無阿弥陀仏として今届けられています。阿弥陀さまは、今日も、私と共に歩んでくださっているのです。

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