大地のような大悲<

本願寺新報 2011(平成23)年2月10日号掲載
兒玉 智文(こだま ともふみ)(京都・文相寺住職)

生きる価値がない?

カット 林 義明

ある育児冊子に「子どもを"ほめる""しかる"という一見相反する行為は、実は"評価する"という同じ性質をもったものである」とありました。

子どもの将来を考え、小さい頃から善悪をしっかり教えておかなくては、というのが親心です。誰もがそうして子育てをしているのではないでしょうか。しかし、冊子には子どもにとって本当に必要なのは、評価ではなく、さまざまに生じる気持ちをそのまま受け入れ、寄り添ってくれる存在だとありました。

以前、「自己肯定感」について世界の子どもたちにアンケート調査をしたという記事を見ました。自己肯定感とは「自分は生きている価値がある」という感覚です。結果は、日本では30%程度の子どもしか自己肯定感を持っていなかったようです。

「自分は生きている価値がある」という感覚を持たない子どもがいるということは、大変な驚きであり、本当に悲しいことです。幼い頃から他人と比較され、大人から"よい子"になることを求められ、また過剰な競争の中にさらされていることで、他人と比べることや、自分が大人の期待に応えることでしか自分の存在意義を確認できなくなっている、と専門家は分析していました。

幼い子どもに限らず、学生時代も常に成績や生活態度を評価され、就職してからもきびしく業績を評価されるのが現代社会ではないでしょうか。

ベンチャー企業のある社長さんが、「部下を叱(しか)る時、何に気をつけていますか」と聞かれた時、「叱ると同時に、必ず"あなたは会社にとってとても大切な人です"と伝えることです」と答えました。

この娑婆(しゃば)世界では「評価」もやむを得ないことで、時には必要なことでしょう。しかし、真に人を救うのは、評価ではなく"受け入れてくれる存在""寄り添ってくれる存在"なのです。「あなたが大切ですよ」というメッセージをしっかりと伝えることが大事なのだと思います。その大事なメッセージが、なかなか伝わりにくくなっているのではないでしょうか。

いつでもどこでも

お年寄りや病気の方などにとっても、現代は自分自身を大切な存在であると思えなくなり、生きづらい世のなかになっているように思います。

お参りにうかがうご門徒のおばあさんで、手術をされた方がいらっしゃいます。退院後も、頭が重く手がしびれ、つらい思いをされていて、この先、自分一人で自分の世話ができなくなるくらいだったら死んだ方がいい、とおっしゃいます。

もちろん、家族に迷惑をかけたくないという気持ちからの言葉ですが、一人で自立できないと生きる価値がないという意味にも聞こえ、たとえようのない寂しさを感じます。

「自立」を辞書で調べると、「他の援助や支配を受けずに自分の力で身を立てること。ひとりだち」とありました。自分の力でしっかり生きていくことは素晴らしいことです。しかし、本当に「他の援助や支配を受けずに・・・」なんて可能でしょうか。私たちは気付いていないだけで、日々たくさんの命をいただき、他人の世話なしでは生きられない存在なのです。

「立」という字は、人が両手を広げ、両足を地面につけている状態から作られた象形文字だそうです。人と地面が一体になった字であり、つまり、人が"自ら立つ"ためには地面がないと立てないということを表しているのです。

「誰の世話にもなっていない」「誰にも迷惑をかけていない」と思っている時、「私は自立している」と慢心になります。

反対に、仕事を失ったり、病気になったりして、まさに、他人の助けなしに生活できなくなると、途端に不安になり、情けなくなり、絶望的になったりするものです。

あるお寺に「転んでも転んでも大地の上」という言葉が掲げられていました。

"大地"とは阿弥陀如来のことでしょう。人生は悩み苦しむことがたくさんありますが、いつでもどこでも大地が私を支えてくれているように、阿弥陀如来は、私をいつでもどこでもそのまま受け入れ、寄り添ってくださっています。

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