希望を胸に

本願寺新報 2011(平成23)年4月20日号掲載
副 高朗(そえ こうろう)(兵庫・西念寺住職)

千年に一度の・・・

カット 林 義明

東日本大震災が発生した3月11日、所用で外出していた私に、坊守から電話がありました。大阪で就職活動の説明会に出席していた大学生の次女から、地震があり結構揺れてこわかったと連絡してきたという内容でした。どこが震源かなぁ、と思いながら寺に帰りテレビを見た瞬間、体が凍りつきました。

その後の惨状は、皆さんがご存じの通りです。

震災の直後から、「千年に一度」「想定外」という言葉が、防災や原発の専門家、担当者の口から相次ぎました。確かに、人間の想像を超えた災害であったに違いありません。

しかし、それまで「地球にやさしい」「環境に配慮した」など、人間の力で自然をコントロールできるかのような宣伝を、同じような人や企業が発言していたのです。この宣伝文句がいかにおこがましいものであったのか、今回の災害は人間の能力が自然に対して、微力ではなく無力であることを証明しました。

ですから「千年に一度」「想定外」などの発言は、人間の言い訳以外の何ものでもありません。

実はこれと似たようなことが、以前にもありました。

阪神・淡路大震災で

私は神戸市灘区に住んでいますが、16年前、阪神・淡路大震災により大きな被害を受けました。その時は震度7でした。震度7という揺れは、実際には「揺れ」とは感じられません。器の中でかき回されているような感じです。よく訓練などで、地震がきたら先にガスやストーブを消して・・・などといわれますが、まず不可能です。何しろ自分を守るのが精いっぱいで、それ以外の余裕などほとんどありません。

この時、よく使われたのが「無常」という言葉でした。今までのすべてが一瞬にして崩れて変わってしまったのですから、あながち間違いではありません。しかし、それまでは各地に災害が発生しても、「無常」などと頻繁に使われたことはなく、あの大震災をきっかけに突然、盛んに使われだしたのです。

私は近所の方々と避難生活を送りながら、「そうかな?」と疑問を持っていました。なぜなら、阪神・淡路大震災も今回の東日本大震災も、被災地はそれまでと一変して非日常的な状況になります。その非日常的な状況を指して「無常」と使ったのです。日常と非日常を区別する、つまり被害があった地域と、そうでない地域を区別してとらえていました。

しかし、そうでしょうか。毎日の暮らしが、電気・水道・ガスを当たり前のように使えることに慣れてしまい、一つでも止まると右往左往して不便に思います。でも何でも手に入るなどという社会は、むしろ異常でもあるのです。つまり安定した毎日を日常的というのではなく、山あり谷ありの人生をひっくるめて日常的と言えるのです。

「無常」は、決して他人事ではなく、私自身の生き方を問題にしているのです。

ともあれ、生きるか死ぬかの状況から、いかに生きるかという現実を前に、悲しみを抱きながら、先の見えない日々を過ごすつらさは、どのようなお見舞いの言葉も空(むな)しく響くだけかもしれません。

最後に歌詞を紹介します。阪神・淡路大震災が起きた後、小学校の音楽の先生・臼井真さんが、壊れた街並みを歩きながら作った歌です。今でも、小学生を中心に歌い継がれ、多くの人々に勇気と希望を与えてきました。皆さんに笑顔が戻る日が来ることを、いつまでも待ちたいと思っています。

しあわせ運べるように
   作詞・作曲臼井真
地震にも負けない
強い心をもって
亡くなった方々のぶんも
毎日を大切に
生きてゆこう
傷ついた神戸を
元の姿に戻そう
支え合う心と
明日への希望を胸に
響きわたれ
ぼくたちの歌
生まれ変わる神戸のまちに
届けたい
わたしたちの歌
しあわせ運べるように

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