お浄土の妻へ

本願寺新報 2011(平成23)年10月 1日号掲載
佐々木 隆晃(ささき たかあき)(相愛大学准教授)

携帯に残る温もり

カット 林 義明

今年の夏、あるご門徒宅で初盆のお参りをした時のことです。お仏壇に携帯電話が置いてありました。付いているストラップなどの様子から、それが亡くなった奥さまのものであろうことがわかります。毎日触れておられた携帯電話には、今も奥さまの温もりが残っているような気がしました。

私自身も、今年の3月、妻をお浄土へ見送りました。38年の生涯でした。

妻は、昨年の9月に娘を産みました。ようやく授かった第一子で、婿養子に入った私も、妻の両親も、とても喜んでいました。夜泣きによる寝不足の疲労も、娘の一つ一つの仕草で吹き飛んでしまうように思っていました。

しかし、妻は産後の体調がすぐれず、娘の1カ月健診の1週間後に入院したのです。検査の結果、卵巣がんであることがわかり、妻本人にも伝えられました。すぐに抗がん剤治療が始まり、妻は病室で娘の様子を気にかけながら、私たちに子育ての指示を出し、治療に取り組んでいました。ところが、順調に進んでいると思っていた抗がん剤治療のさなか、11月に脳梗塞(こうそく)をおこし、病状は絶望的に悪化したのです。

妻の言葉

年明けを病院で迎え、友人や親戚(しんせき)がお見舞いに来てくれました。病院の方々の懸命な処置もあって、一時は体調が上向きのように見えました。家に帰ったらあれを食べたい、娘を連れてどこに行こう、そんな話もしていました。しかし、がんの進行を止めることはできず、2月に入って状態は見る見る悪くなっていきました。

がんの転移は明らかで、完治は見込めないことから、体調のいい時を見計らって一度家に帰ることを検討するようになりました。治療方針の変更にともない、本人に状態を伝えることになり、2月16日の夕方、私は妻にすべてを話しました。病気はもう治らないこと、残された時間が短いこと、一度家に帰るのを目指すこと。だまって聞いていた妻は、少し間を置いた後、「ごめんなぁ・・・ ごめんなぁ・・・」と二度、私に謝りました。

2月末のある日、体を起こして座っていた妻が、下を向いたまま、小さな声で私に言いました。

「それでは・・・ひと足お先に・・・失礼します」

私は、妻の言葉と同じ調子で答えました。

「私も・・・すぐに・・・参ります」

すると妻は、こう言いました。

「すぐでは・・・困ります」

私は、うなずいて言いました。

「かほのことを・・・ひと通り終えたら・・・参ります」

「かほ」とは娘の名前です。間もなく6カ月を迎えようとしていました。

結局家に帰ることができないまま、3月6日の夕方、妻は静かに息を引き取りました。

入院中、いろいろな思いが頭をよぎりました。どうしてこんなことになったのだろう。誰か何とかしてくれないか。夢だったらいいのに。見ず知らずの他人なら、死とはこういうものだと客観的に考えられますが、大切な人が死にゆくとなると、なかなかそうはいかないものです。

親鸞聖人のお手紙の、次の言葉が浮かびます。

浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし
(註釈版聖典785ページ)

お浄土があって、本当によかった。でなければ、私は立っていられませんでした。死とは、さとりとは、という理屈ではなく、妻を感じることができる世界があったのです。

今年のお盆に、4月から娘が通っている保育園の先生が、妻の初盆のお参りに来てくださいました。一度も会ったことのない、かほちゃんのお母さんへ、と手作りのポストカードを持って。保育園の友達と一緒に写る娘の写真を貼(は)った裏、宛て名の面にはこう書いてあります。

「かほちゃんのママへ、みんな仲良しです」

お浄土の妻は私たちを見守ってくれているに違いありませんが、私からは見えません。会いたい、声を聞きたいという思いは募り、携帯電話などを通して妻の温もりを感じていたいのです。ですから、待ってくれているお浄土の妻へ、私は語りかけます。

「一生懸命生きていくよ、お浄土に参る、その日まで」と。

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