よしよし、大丈夫だよ

本願寺新報 2011(平成23)年11月20日号掲載
岩尾 秀紀(いわお ひでき)(宮崎・浄光寺住職)

どうして言えない

カット 林 義明

このたび50年に一度の親鸞さまのご法要のご勝縁にお参りすることができました。特に新しく制定されました「宗祖讃仰作法(しゅうそさんごうさほう)」の音楽法要での、あのご和讃とお念仏のリズム、そしてメロディーは、今でも耳に心地よく残っております。そのご和讃の一つ ───

十方微塵世界(じっぽうみじんせかい)の
念仏の衆生をみそなはし
摂取(せっしゅ)して捨てざれば
阿弥陀となづけたてまつる
(註釈版聖典571ページ)

摂取不捨(せっしゅふしゃ)、如来さまのお慈悲の光の中に摂(おさ)め取(と)って絶対に捨てることはない、だから「阿弥陀さま」と申し上げるのだよ、とお聞かせいただきながら、昔の出来事を思い出しておりました。

今から20数年前、長女が2歳の頃のことです。その娘が遊びの最中、私の母に大けがをさせかねない過ちをしてしまったことがありました。その時、私はまだ幼い娘を「どれだけおばあちゃんが痛かったと思うの!ごめんなさいと言いなさい!」と、大声でしかりつけました。

きっと恐ろしい形相だったのでしょう。娘は驚きと恐怖からか、ただ泣きじゃくるばかりで「ごめんなさい」がどうしても言えません。だから私はさらに大きな声になります。「はやく言ってくれたら許してあげられるのに」と私も悲しい気持ちでしたが、「これもしつけ」と思って、しかり続けました。

母は娘をしかるそんな私の姿をじっと見つめながら、とても悲しそうな表情をしていました。そのうちにたまらなくなったのでしょうか、母は私をそっと押しのけ、娘を優しく抱きしめました。そして「よしよし、大丈夫だよ、よしよし大丈夫」と笑顔で、しかし、涙を流しながら何度もそう言うのです。

すると娘は大泣きしながら母の胸に抱きついていきました。そして震える声で「おばあちゃん、ごめんね、ごめんね」と、その胸にすがり、絞り出すようにやっとそう言えたのです。

仏のハタラキのなか

思えばこの時、幼い娘の胸の中には、逃げ場のない深い悲しみ、どうしようもない思いが渦巻いていたことでしょう。そのことを見抜き、今一番つらいのは、自分に痛い思いをさせたこの孫なんだ、だからこそ愛(いと)おしいと、ただ「よしよし」と抱きしめずにはいられなかったのが私の母でした。

そして、しつけと言いながら恐ろしい顔で、泣きじゃくるわが子をしかりつける息子を、母はどのような思いで見ていたのでしょう。どれほど悲しかったでしょう。

私には見抜けませんでした。「ごめんなさい」と言わせることが先ではなかったのです。悲しみにしっかりと寄り添い、あたたかく包まれたからこそ、娘は「ごめんなさい」と言わずにおれなかったのですね。そして、その母の大きな慈愛に、実は私も包まれていたのだと知らされました。

多くの世界に、さまざまな苦悩や悲しみを抱えたいのちが存在します。その中には、怒りや憎しみに打ち震えているいのちもあるでしょう。そのひとつひとつの姿をしっかりと見抜いて寄り添い、お念仏する身へと育ててくださるのが、阿弥陀さまのハタラキでした。

それが「十方微塵世界の念仏の衆生をみそなわし」ということであり、そして「摂取して捨てざれば阿弥陀となづけたてまつる」と、その光明の中に摂め取って決して捨てない。だからこそ無量寿(むりょうじゅ)・無量光(むりょうこう)の仏さま、阿弥陀さまと名のられるのです、と教えてくださいます。

「宗祖讃仰作法」ではこの後、

煩悩にまなこさへられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身をてらすなり
(同595ページ)

のご和讃が続きます。

煩悩によって阿弥陀さまの光明が見えないとは、まさしく怒りによって母の悲しみも娘の苦しみも見えなかった私の姿だったと思います。けれどその私を、阿弥陀さまのお慈悲の光は常に照らし包んでくださっていた。私がお念仏申す身となるずっとずっと前から、阿弥陀さまは「必ず救う。絶対に捨てぬ。どうかお念仏しておくれ」と願い続け、よび続けておられたのです。私は阿弥陀さまの大いなる慈悲の願いの中にいたのでした。

母が往生して17年になります。大きな気付きをいただいた、私の大切な思い出です。

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