遺された言葉と共に

本願寺新報 2011(平成23)年12月 1日号掲載
苅屋 光影(かりや こうえい)(布教使)

一言の中に人生が

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カット 林 義明

親鸞聖人750回大遠忌法要で行われた「街頭布教」のお手伝いをさせていただきました。京都駅の前にある京都タワーの下で、観光客などに法要のご案内をしました。

お坊さんの姿ですから、修学旅行生には珍しそうに見られますし、外国の方には写真を撮られたりします。信号で立ち止まる方はいても、聞いてくださる方はほとんどありません。

最初ははずかしくて言葉に詰まりましたが、次第に慣れてきて、法要のご案内と仏教のお話をしていました。1時間経ったので本願寺へ戻ろうとした時、一人の女性がこちらをじっと見ておられました。

「どうぞお参りしてくださいね」と私が声をかけると、「坊主はきらいだ」と言って立ち去られました。1時間いて、たった一言「坊主はきらいだ」との言葉に、私は落ち込みながら本願寺へ戻りました。

しかし、時間が経ってから、本当に嫌いであれば私と話をしないのでは、何か伝えたかったのかもしれない、と考えるようになりました。一言の中にはその人の人生があります。その人がこれまでに誰とであい、何にであい、どのようにであってきたのか、と考えさせられました。

お坊さんらしい人間ではない私に「坊主は嫌いだ」と、お坊さんとして声をかけてくださったことが有り難く、尊いご縁であったと後から思えるようになりました。

時計を見ながら

今年、祖父の25回忌を迎えました。祖父が亡くなった当時、小学生だった私に祖父は「よいお坊さんになれよ」と言い遺しました。私にとって、その言葉だけが心の片隅に遺されました。そんな祖父のことを、昨年3回忌を迎えた祖母が「いつが別れになるかわからんから話しておくね」と、いつも私に語りかけてくれました。

寒い冬の日、祖父が脳出血で倒れた時のこと、半身不随での厳しい闘病生活を送っていたこと、貧しいお寺の状況の中で、ご門徒の方々が支えてくださったことなど...。

ご門徒さんのお宅へお参りできない祖父は、唯一、時間励行に朝夕の梵鐘と勤行を日課にしていました。杖をつきながら、お念仏と共に本堂へゆっくり歩んでいく半身不随の祖父を思い出します。

祖母は亡くなる直前、私に腕時計と掛け時計をくれました。それは祖父のようなお坊さんになってほしいからでした。部屋に掛けてある祖母から贈られた時計をいつも見ながら、祖父の生涯と「よいお坊さんになれよ」という言葉を思い出します。

時間にルーズな私は、よいお坊さんにはなれそうにありませんが、祖父と祖母のお念仏の声と遺された言葉を心の支えとして、法灯を護っていきたいと思います。

私を救うよび声

親鸞聖人の面授の門弟である唯円房が遺された『歎異抄』には、「故聖人の仰(おお)せ」られた「耳の底に留むるところ」のお言葉が伝えられています。特に後序(ごじょ)には「聖人のつねの仰せには...」(親鸞聖人がつねづね仰せになっていたことです...)とありますように、聖人からいつもお聞かせいただいたお言葉を、唯円房は生涯大切に味わっておられたことがうかがえます。

当時、親鸞聖人の遺されたお言葉が、唯円房だけに限らず越後でも、関東でも、晩年の京都においても、多くの人の心の中で依りどころとなっていたのではないでしょうか。

さらに第2条には「親鸞におきては...よきひとの仰せをかぶりて(法然聖人のお言葉をいただき)」とありますように、親鸞聖人ご自身も、法然聖人の「仰せ」を生涯大切に味わっておられたことがうかがえます。

先人の遺された言葉が、教えをいただく人々の心の中で生き続け、その人の生涯を支えていくことに、み教えが言葉となって伝わっていく尊さを思います。「坊主はきらいだ」と言われた一言にはその人の人生があります。「よいお坊さんになれよ」という祖父の言葉の中には祖父の私への願いがあります。

「南無阿弥陀仏」の御名(みな)は、阿弥陀さまが私のために歩まれたご苦労と、私を必ず救う願いの喚(よ)び声であることを、先人の遺してくださった言葉と共に大切に聞かせていただきます。

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