ひろくあまねく大悲

本願寺新報 2011(平成23)年12月20日号掲載
中山 浩司(なかやま こうじ)(山口・念西寺住職)

善導大師のおことば

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カット 林 義明

「みづから信じ、人を教へて信ぜしむること、難(かた)きがなかにうたたまた難し。大悲弘(ひろ)くあまねく化(け)する、まことに仏恩(ぶっとん)を報(ほう)ずるになる」(註釈版聖典261ページ)

今年は多くの出来事がありました。深い悲しみの中で年の瀬をお迎えの方も数多いことと思います。そんな私たちがさまざまな思いを抱えて生きる今ここが、阿弥陀さまのはたらくところ、「あなたを必ず救う」とよびかける如来大悲の真っただ中なのです。

「自(みずか)ら信じ、人を教えて信ぜしむる」。漢文では「自信教人信(じしんきょうにんしん)」です。これは七高僧のお一人、中国の善導大師のお言葉です。親鸞聖人はこのお言葉を『教行信証』の中で引用されて、他力の信心を恵まれた者は、自ら信じさせていただいたことを大いによろこび、ほかの人をまた信じさせることになる。それは実に得難いよろこびであるといただかれました。

それに続く「大悲弘くあまねく化する」は、阿弥陀さまのお慈悲が主語です。聖人は教えを伝えることも私たちの手柄ではなく、阿弥陀さまのはたらきの中の出来事といただかれました。私たちが教えを信じ、人に教えて信ぜしめることも、法そのものの持つ「弘まる」はたらきということです。お念仏をよろこぶ、お浄土へ向かう今をよろこぶ方々を通じて、私たちに如来の大悲が届いているのです。

若い夫婦がおつとめ

今から10数年前、私は広島県のお寺に法務員(お参りのお手伝い)として勤めていました。広島は各ご家庭で「お取り越し」が盛んな地域です。お取り越しとは、親鸞聖人のご遺徳(いとく)を偲ぶ報恩講のご法要のことで、1月の御正忌(ごしょうき)報恩講より先に「取り越して」おつとめすることです。私のいたお寺でも、毎年10月下旬から、ご門徒のお宅にお参りをさせていただいておりました。

ある年、私がお参りしたお宅は、街に完成したばかりのマンションの一室でした。お伺いしてまず驚かされたのは、ご夫婦の年齢です。当時の私と同世代の、若いご夫婦だったのです。マンションですからお仏間はなく、案内されたのはリビングの窓際でした。そこには、小さいながらも丁寧にお飾りされたお仏壇があり、明るい秋の日差しを受けて、阿弥陀さまが輝いておられました。そして、一緒に正信偈のおつとめをさせていただきました。

私はおつとめをさせていただきながら、ご夫婦にどんなご縁があってお取り越しのお参りをされることになったのかと考えました。ご夫婦いずれかの親御さんか...、もしかすると、お子さんか...。いずれにしても、お身内を亡くされたことがきっかけとしか考えることができません。またお参りさせていただく機会があれば、ゆっくりお話ししたいと思いながら、マンションを後にしました。

忘れ得ぬご縁に

しかし、お寺に戻ってから聞いたいきさつは、私の想像とは全く違っていました。

お仏壇は、奥さんのおばあさんからの結婚祝いだったのです。おばあさんは、結婚して家庭を持つことになる孫娘さんに、お念仏申す家庭を築いてほしいと願われ、お仏壇を贈られたそうです。

そして、「結婚してどこに住むことになっても、まずは浄土真宗のお寺を探しなさい。そして年に一度、必ず親鸞さまの報恩講にはお参りに来てもらいなさい」と、おっしゃったのだそうです。

そのおばあさんの願いをしっかり受け止められた孫娘さん、つまり奥さんのおかげで、その日のご縁があったのでした。

私にとって、おばあさんと孫娘さんを通じて「自(みずか)ら信じ、人を教へて信ぜしむる」姿をいただいた、今でも忘れ得ぬご縁です。そして、それもまた「大悲弘くあまねく化する」出来事なのです。

さまざまな出来事があった今年が間もなく終わります。今、それぞれの皆さんにそれぞれの思いがおありのことと思います。もし手を合わせる人やお念仏申される方に出会うことがあるならば、そこにもまた「あなたを必ず救う」と届いた、如来さまのはたらきがあるのです。

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