真夜中のギター

本願寺新報 2012(平成24)年5月10日号掲載
八橋 大輔(やつはし だいすけ)(本願寺派総合研究所研究員)

三拍子揃った部屋に

カット 林 義明

「♪街のどこかに淋しがり屋がひとりいまにも泣きそうにギターを奏(ひ)いている・・・」という歌い出しで始まる『真夜中のギター』という曲があります。いつ頃この歌を聴いたのかは忘れてしまいましたが、なぜだか歌詞に共感し、時折思い出す歌になっています。ただ今回お話しするのは、私が2年半ほど前に体験した「真夜中のギター」についてです。

当時、私は引っ越しをしました。新しい住まいは、街中で駅に近くて便利、手頃な家賃、しかも広い、という三拍子そろったマンションでした。下見をせずに部屋を決めたため、引っ越しの当日が初見でした。部屋に入ると、予想以上に広く、これは本当にいい所を選んだなぁと、あらためて満足感でいっぱいでした。

しかし、引っ越しを終えて2日目の深夜でした。もうお察しかと思いますが、突然大きなギターの音が響いてきたのです。あまりに大きい音のため、初めはマンションの中に生演奏をするお店があるのかと思ったほどです。実は、階上の住人がミュージシャンで、夜中にギターの練習をしていたのでした。

引っ越しの満足感から一転、大変な所に来てしまったのではないかと重たい気持ちになりました。翌日、寝不足の状態で仕事を終え、夕方、不動産会社に連絡して、注意してもらうようにお願いしました。会社側からは、マンションの管理は別の管理会社に委託しているので、そちらに電話してくださいと、そっけないものでした。

続いて管理会社へ連絡しましたが、管理しているのはマンションの共有部分だけで、各部屋については管轄外と言われました。結局、全戸への注意書きを掲示板に貼り出してもらうことしかできませんでした。

不動産会社に連絡すれば解決すると思っていましたが、なかなか思うように進まず、また、直接、階上の住人に注意できないとなると、すぐには解決しないだろうと暗い気持ちでした。

そしてまた夜がやってきました。そろそろ眠りにつこうかという頃、昨日同様、ギターの音が響き始めました。この日はギターに加え、隣の部屋からも大音量の音楽が聞こえてきました。

「このマンションは一体どうなっているんだろう」

夕方の会社の対応から始まり、上から横からの騒音。ほとんどの荷物が段ボールに入ったままの殺風景な部屋に一人でいると、だんだん冷静さが失われます。

「みんなぐるなんじゃないか」

ありえないことまで考えてしまいます。

「こんな状況では眠れないな」と思っていた時でした。

外から「カンカンカンカン」と音が鳴りました。ベランダの手すりを叩いたような金属音です。

誰がどんな意図で叩いたのかはわかりません。しかし、私には騒音への抗議に聞こえ、「やっぱりうるさいですよね」と妙に安心したのです。そして自分でも驚いているのですが、騒音が気にならなくなり、朝まで熟睡してしまいました。

わかってくれる人が

作家の遠藤周作さんは、人間の「苦痛」というものについて、手術を受けた際の体験から語られています。術後、あまりの激痛に耐えかねていた遠藤さんですが、看護師さんに手を握られて、「この人はおれの痛みをわかってくれるんだと思うとね、痛みがおさまるんです」「人間の苦痛というものには、かならず孤独感というものがつきまとっている」と言われています。

この晩の私も、騒音への不快感、怒り、不安などの感情を持っていましたが、その根本には、孤独感があったのではないかと思います。だから、「わかってくれている人がいる」と思った瞬間、安心して眠ってしまったのでしょう。人は一人でないとわかった時、何とも言えないぬくもりを感じます。

親鸞聖人は煩悩を抱えた私たちのあり方を「長い夜」、阿弥陀さまのおはたらきを「ともしび」にたとえられ、「弥陀の誓願(せいがん)は無明長夜(むみょうじょうや)のおほきなるともしびなり」(註釈版聖典670ページ)とお説きくださいました。

真っ暗な闇の中で、孤独にうちふるえる私たちを、阿弥陀さまのお救いの光があたたかく照らしてくださっています。

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