祖父の後ろ姿

本願寺新報 2013(平成25)年2月10日号掲載
芝原 弘記(しばはら こうき)(本願寺派総合研究所研究員)

西に沈む夕日を眺め

カット 林 義明

私の今の楽しみの一つは、2人の子どもと本堂でお夕事(ゆうじ)のお参りをすることです。子どもたちが見たいテレビ番組などがあると、なかなか素直についてきませんが、子どもたちには、親である私が、阿弥陀さまのことを大切にして、お参りをする姿をできるだけ見せておきたいと思っています。

本当に大切なことは、後ろ姿を通して伝わっていくのではないかと思います。阿弥陀さまに手を合わせることもそうです。おじいちゃんやおばあちゃん、父親や母親、そして周りの大人たちが阿弥陀さまに手を合わせる姿を子どもたちが見て、またその子も手を合わせる人として育っていきます。
私自身も、かつて祖父と一緒にお参りをしたその後ろ姿が、心に強く残っています。

中学生の頃、私はサッカー部に所属していましたので、日頃は帰宅が遅かったのですが、定期試験前など部活動が休みのときは早く家に帰っていました。そういう時は、夕方になると決まって祖父が「おーい、おつとめやぞー」と呼びに来ました。私は祖父の後について、まず本堂で正信偈をおつとめし、続いて会館の2階の仏間でおつとめをします。そしてその後、天気のよい日には、祖父は決まって会館の2階の窓から西に沈む夕陽を眺めていました。

私の住んでいる地域は夕焼けが大変きれいなところで、「砥山夕照(とやませきしょう)」と呼ばれ、栗太八景の一つにも数えられています。周りをぐるっと山に囲まれているのですが、ちょうど西の方角だけ山が切れていて、天気がよければ、お夕事の時間帯に本当にきれいな夕焼けが見えます。そういう時、祖父は西の方に向かってじっと手を合わせて、なかなか動こうとしませんでした。

中学生の私は、祖父の後ろで待ちながら、心の中では「早く終わらへんかなぁ」などと思っていたように思います。でも今思い返しますと、祖父のその後ろ姿が大変ありがたいと思うのです。

受け継がれるお念仏

これは父から聞いた話ですが、祖父も若い頃は「お浄土」をどのように受けとめたらいいのか、またどのように語ればいいのかということについて悩んでいたそうです。

祖父が青年時代を過ごした大正、そして昭和初期という時代は、日本の近代化が進み、人々の価値観も大きく変わっていった時代でした。「お浄土」に対する人々の受けとめ方も変わっていきました。そのような中で祖父は「浄土真宗が浄土を説かなかったらよかったのに」とさえ思っていたこともあったそうです。それが、だんだんと年を重ねていくと、「お浄土が説かれていることが本当にありがたいと思う」と、しみじみ語っていたといいます。そしてさらに晩年になると、理屈や言葉を超えて、ただ夕陽の沈む西方に向かってじっと手を合わせるようになったのです。

祖父がお浄土に往生してから22年が経ちました。あの時、西に沈む夕陽に手を合わせながら祖父が何を思っていたのかは私にはわかりませんが、今、私がお浄土のことを考える時、いつも祖父のあの後ろ姿が思い浮かびます。それは理屈や言葉を超えた世界でありながら、何とも言えない温かさを伴うイメージです。そして私も祖父のような後ろ姿を示すことができる人になりたいと思うのです。そういうとき私は、今でも祖父の後ろ姿に導かれているような気がいたします。

親鸞聖人が『教行信証』の最後に引用される、道綽禅師の『安楽集』の次の文が思い浮かびます。
前(さき)に生(うま)れんものは後(のち)を導き、後に生れんひとは前を訪(とぶら)へ、連続無窮(むぐう)にして、願はくは休止(くし)せざらしめんと欲(ほっ)す。(註釈版聖典474ページ)

先にお浄土へ往生された方々の後ろ姿に導かれて、私も同じようにお浄土への道を歩ませていただくのです。そしてそのようにして歩んだ私の後ろ姿も、きっとまた子どもたちが見て歩んでくれる。このようにして、阿弥陀さまのご本願のお念仏が、絶えることなく受け継がれていくのです。

今日もまた、西に沈む夕陽を見ながら、祖父が往(ゆ)き生まれていったお浄土を思い、子どもたちと一緒にお念仏したいと思います。

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