苦悩を生きる

本願寺新報 2013(平成25)年3月 1日号掲載
朝枝 泰善(あさえだ たいぜん)(広島・浄土寺住職)

生老病死の四苦

カット 林 義明

お釈迦さまは「人生は苦である」として、「生(しょう)・老・病・死」の四苦(しく)を示されました。確かに、生まれたからには誰しも、老・病・死を背負って生きていかなければなりません。

若い時には平気だったのに、体力が続かないなど、日常のふとした時に自分の老化を痛感することがありますが、そんな時は「本当に年はとりたくないもんだ・・・」と誰もが思うことでしょう。

病気もそうです。誰だって病気になんかなりたくありません。でも、病気になってしまったら引き受けるしかありません。それなのに、なんで私がこんなことになったのか・・・と思い悩んでしまいます。

昨年のことです。突然、腰に痛みを感じました。お酒の席でしたので、友人が「飲めば治る」というので飲み続けたところ、痛みが消えたのです。「本当に治った」と喜んだのですが、次の朝は痛みで目が覚め、動けないほどになり、お世話になっているカイロプラクティックの先生にみてもらいました。

先生は首から肩、腰とマッサージをして、「老化かな」と言ってお腹(なか)を手で診察された時、「あっ」と言われたのです。「何ですか」と聞くと、「いや、何でもありません」と言われましたが気になります。おかげで痛みは和らぎましたが、気になったせいでしょうか、帰宅する車の中でまた痛み出しました。

今度は友人のところで電気治療をしてもらい、湿布をたくさんはってもらいました。帰り際に友人が薬をくれたので、飲んでから帰りました。

家に着いて、横になって休んでいると、妻が「この薬を飲むと、痛くないの?」と尋ねるのです。「痛くないよ」と答えると、妻は「おかしいね、これは化膿止めよ」というのです。その言葉が気になってきた私は、次第に腰が痛み出し、ついにその夜は、今まで感じたことのない痛みで眠れませんでした。

そして、痛みが少し弱まってくると、今度はカイロプラクティックで言われた「あっ」のひと言が気になって、「もしかしたら大変な病気では・・・」と、ただただ不安でいっぱいになりました。

次の日の朝も痛みが取れず、結局、病院に行きました。レントゲンでもわからず、MRIで調べてもらうと、「原因はヘルニアです」と言われました。痛みを抑える注射をしてもらい、経過をみながら治療することになりました。おかげで痛みはなくなりました。

私という人間は、人のひと言ひと言で、すぐにふらふらと迷ってしまうのです。「飲めば治る・・・」「老化かな・・・」「あっ・・・」「この薬は・・・」。痛みを抱えた時も不安で仕方なかった私ですが、病院で痛みの原因を正しく知らせてもらって、ようやく安心することができました。

阿弥陀さまだけが・・・

親鸞聖人は『高僧(こうそう)和讃』のなかに、
 生死(しょうじ)の苦海(くかい)ほとりなし
  ひさしくしづめる
  われらをば
  弥陀弘誓(みだぐぜい)のふねのみぞ
  のせてかならずわたしける (註釈版聖典579ページ)
と詠(うた)われています。

私たちいのちあるものの生死(しょうじ)の苦しみ、迷いの深さは、海のように巨大でほとりがないとおっしゃいます。どんな名医でも治せない難病のように、どんな仏さまでも救い出すことのできない深い海です。しかし、阿弥陀さまだけが、「救わずにはおかない」とご本願をおたてになり、南無阿弥陀仏の名号(みょうごう)を成就して私たちに与えてくださっています。

「われ称(とな)えわれ聞くなれど南無阿弥陀つれてゆくぞの親のよびごえ」という、原口針水(しんすい)和上の有名なお歌があります。
病気になると、「何か大変なことでは・・・」と右往左往し、人の言葉一つで、あっちにふらふら、こっちにふらふらする私。そんな私に阿弥陀さまはいつも「われにまかせよ、必ず救う」とよび続けてくださいます。

「ナモアミダブツ、ナモアミダブツ・・・」とお称えするひと声ひと声の中に、苦悩の人生を精いっぱい生きる喜びがあふれています。

ホーム教えみんなの法話苦悩を生きる

ページの先頭へ戻る