見えないはたらきに導かれ

本願寺新報 2013(平成25)年6月 1日号掲載
高田 篤敬(たかだ あつのり)(岐阜・蓮教寺衆徒)

慌てず様子を見て...

カット 林 義明

お釈迦さまの涅槃(ねはん)のご様子は、涅槃図として描かれ、時代を越え国を越えて、お釈迦さまを敬う人々の間で「絵解(えと)き」として伝えられてきました。その絵には、弟子たちの姿や悲しむ動物たち、沙羅双樹(さらそうじゅ)などが描かれていますが、空を見ますと、雲に女性の姿を見ることができます。

この方は、お釈迦さまの母「マーヤ夫人(ふじん)」の姿だそうです。お釈迦さまの誕生から7日後に亡くなられたお母さまのことを、お釈迦さまはとても大切に思っておられたことがわかります。いつもそのご活躍を見守られ、いよいよ涅槃をむかえられる時にも、会いに来てくださる姿がそこには描かれています。

私は今年の9月、三男の7回忌を迎えます。2007年の9月9日、三男の亮都(りょうと)は、3歳で急死しました。当時、私は妻と5歳の長男、3歳の双子の次男、三男の5人家族で、双子の弟たちがようやく幼稚園に通うようになった矢先のことでした。

9月8日、その日は土曜日でしたが、3人ともいつものように元気に朝のお参りをしました。そのお昼過ぎ、お昼寝からさめると、三男は38度の熱がありました。かかりつけの小児科の先生は、普段から「熱があってもあわてなくていいですよ。食欲があって元気なようだったら、しばらく様子をみてください。元気がなければいつでも診察しますから」と言ってくださっていました。

様子をみていると、元気にお兄ちゃん二人と一緒に遊んで、晩ご飯も残さずに食べましたので、少し安心していました。長男、次男を順番にお風呂に入れている時、三男は突然倒れました。あわてて抱き起こすと、まったく息ができず、唇は紫色に変わってきました。すぐに救急車で病院に運ばれ、医師の先生と看護師さんが交代で心臓マッサージをしてくださっているそのそばで、私は見守るしかできませんでした。

画面や音などで心臓の動きや血圧、呼吸などを示すモニターで、子どもの心臓の音が私にもわかりました。先生が胸を押している時だけ、音がしますが、手を止めるとだんだん音が弱くなり止まってしまいます。その様子から、とても危ない状態であることが伝わってきます。

どれほど時間がたったのか、やがて先生から「打つ手はすべて打ってみましたが、お子さんを助けることはできませんでした」と伝えられ、ようやく触れることができた亮都のおでこは、少し冷たく感じました。日付は9日になっていました。

また出会える世界が

三男が亡くなってから数週間後のある日の夕食の時です。長男がこんなことを言いました。
「家族が4人になっちゃったね。僕、5人の時が楽しくて好きだったんだ。もう5人に戻れないんだよね」
「でも、僕たちが楽しくご飯を食べると、亮ちゃんもうれしいんだよね。だから楽しくご飯を食べようね」

どうやら、私も妻も、まったく笑顔を見せずに毎日を過ごしていたようで、長男は、悲しんでばかりいる私たちを励まそうと、そんなことを言ったのだと思います。でも、その言葉は、大切なことを教えてくれました。
「悲しみが大きいのは、出会いの喜びが大きかったからだよ」と。

親鸞聖人がお示しくださった浄土真宗のみ教えは「阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還(かえ)って人々を教化(きょうげ)する」教えです。

一緒にお念仏香(かお)る家庭を生きた三男は、浄土に生まれ、今度は仏さまとなって私たちを導いてくれます。でも、感情ばかりで生きている私には、そのはたらきが見えずにいます。今見えなくても、仏さまとなってたしかに私を導いてくださる、このことを長男は教えてくれました。

そのはたらきに包まれ、このいのちを生き抜いて、また出会うことのできる世界がお浄土です。お浄土でまた会うことのできる亮都に、そして先輩方に、顔向けのできない人生をおくるわけにはいきません。
「よくがんばったね」とかけてくれる声に包まれ、家族とともに笑顔で過ごしたいと思います。

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