灯(あか)りと共に歩む先に

本願寺新報 2013(平成25)年7月 1日号掲載
艸香 雄道(くさか ゆうどう)(布教使)

最後になるかも・・・

カット 林 義明

母の病気が明らかになったのは、昨年の春の頃でした。すでに治療が難しいほど、病気は進んでいました。

痛みだけを和らげる治療を進めることとなり、在宅で緩和ケア専門の先生にお世話になることとなりました。

自宅での療養でしたから、病気が進行して体力がなくなっていく様子がよくわかります。夏を過ぎ、秋になり、いよいよ動けなくなりました。食事もほとんど受けつけなくなり、水も飲めません。

その頃、私は1週間ほど泊まりがけで布教に出かける予定が入っていました。
「もしかしたら、母の往生にあえないかも知れない・・・」との思いで、覚悟しつつ、「行ってくるからね」と母に話しかけました。
母は声を絞り出すように「気をつけてね」といって、いつものように私を送り出してくれました。

重体の母を気遣(づか)い、心配して、「行ってくるからね」と声をかけたつもりが、その母に心配されていたとは・・・。

最後になるかも知れない母の言葉を噛(か)みしめながら、車を走らせました。親の思いは、いつも子どもの心を越えているということでしょう。

布教に出かける二、三日前、往診に来られた先生から一枚の紙を渡されました。先生は、「大丈夫。お母さんはきっとうまく着陸できますよ」とおっしゃいました。その紙には、母の命が終わっていく過程で、心と体に起こりうる変化について丁寧に書かれていました。

母が往生したのは、布教を終えて寺に帰った翌日でした。静かな静かな臨終でした。家族全員で、お念仏を称えさせていただきました。

「穏やかな最期でした。うまく着陸できたのは、先生とスタッフ皆さんのおかげです」というと、先生は「それは、私やスタッフの力ではありませんよ。家族の皆さんが、お母さんにがんばれ、がんばれと言わなかったからですよ。がんばれと言われたら、お母さんはもっとつらかったと思いますよ」とおっしゃいました。

先生の「大丈夫」という言葉は、亡くなっていく母の気持ちに寄り添うゆとりを、私たち家族に与えてくれました。

聖人と一緒に歩む

『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』の一首です。
  無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)なり
  智眼(ちげん)くらしとかなしむな
  生死大海(しょうじたいかい)の船筏(せんばつ)なり
  罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ (註釈版聖典606ページ)

親鸞聖人は、「人生は暗闇を手探りで歩むようなものである。風雨にさらされることもあるが、嘆(なげ)くことはないぞ。阿弥陀さまが用意してくださった灯火(ともしび)があるぞ。念仏という船に乗せていただき、苦悩の海を渡らせていただこう」とお示しです。

若い時も、年老いた時も、元気な時も、病の時も、どんな時も、阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏とよんでおくれ、私をたよりとしておくれ」と、おっしゃいます。そのよび声と共に歩むとき、安心が生まれ、心にポッと灯りがともります。

人生を飛行機に喩(たと)えると、離陸が誕生で、着陸が死ということになります。その間は、まさに順風満帆(まんぱん)な時あり、暴風雨の中の飛行ありと、さまざまでしょう。そして、着陸する時、ゆっくり高度を下げる着陸もあれば、急降下もあるでしょう。

飛行機が順調に飛んでいるときは、何も心配ありませんが、突然揺れ出したりすると急に不安な気持ちが起こってきます。

しかし、「気流の変化で揺れることがありますが、飛行には問題ありません。当機は、順調に飛行を続けています」と機長のアナウンスが入ると、不安な気持ちが晴れていきます。そして、飛行機は目的地に向かって高度を下げ、点々と輝く誘導灯をたよりに着陸します。

阿弥陀さまが、お浄土を用意してくださる。この命を引き受けてくださる。そのお心が「南無阿弥陀仏」となって、私に届いています。その時その時に口からこぼれるお念仏は、灯りであり、その灯りに導かれてお浄土に向かいます。念仏と歩む人生を、親鸞聖人は「私と共に参りましょう」とお誘いになっておられます。

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