人といのちのハーモニー

本願寺新報 2013(平成25)年7月20日号掲載
岸 弘之(きし ひろゆき)(山口・月空寺住職)

あいさつさえも

カット 林 義明

みなさんはどんな音楽が好きですか?誰でもお気に入りの曲が一つはあると思います。音楽は、私たちの生活においても大切なものとなっています。

その音楽ですが、さまざまな音から成り立っています。トランペットだったり、サックスだったり・・・。それぞれ違った音色を奏(かな)で、自らが中心となるときは主張し、他の音を引き立てるときは一歩下がり、絶妙なバランスで成り立っています。

もし、そのバランスが崩れたらどうでしょうか。それぞれの音がぶつかり合っているような状態です。音階が一つ違っただけでも、不協和音になってしまいます。不協和音とは、それぞれの音色が本来素晴らしいものであっても、お互いの響きを遮(さえぎ)り、調和のとれない、耳障りに聞こえるような音のことです。

それは私たちの人間関係にもいえるのではないでしょうか。

私は僧侶になる前、事務の仕事をしていました。その時、まさに不協和音ともいえる関係の方がいました。その方は、私より少し年上の女性の上司・Aさんでした。最初はとても仲良く和気あいあいと仕事をしていたのですが、いつの頃か、私と話をしてもらえなくなりました。

Aさんとは一緒にペアを組んで仕事をしていたので、話さないことには仕事が進みません。しかし、仕事の話どころか、挨拶さえもしてもらえなくなり、意を決して話しかけてみると、「勝手にやったら?」としか言われませんでした。その時、ムカッとした私は、以降、自分からはほとんど関(かか)わろうとしなくなりました。

このことが原因かはわかりませんが、Aさんは胃かいようになってしまい、しばらく胃薬を飲んでいました。苦しかったとは思いますが、なぜそのような対応しかしてもらえないのか理解できませんでした。不協和音の原因は全く思い浮かばず、Aさんはひどい人だなぁ、とばかり思っていました。

相手でなく自分が

仕事を辞(や)め、浄土真宗のみ教えを学び始めた時、「宮商和(きゅうしょうわ)して自然(じねん)なり」というお言葉に出あいました。

  清風宝樹(しょうふうほうじゅ)をふくときは
  いつつの音声(おんじょう)いだしつつ
  宮商和(きゅうしょうわ)して自然(じねん)なり
  清浄薫(しょうじょうくん)を礼(らい)すべし (註釈版聖典563ページ)

雅楽(がかく)やお経(きょう)では東洋音階を用います。宮(きゅう)・商(しょう)・角(かく)・微(ち)・羽(う)という五つの音階がありますが、その中でも、宮と商の二つの音は、ぶつかり合って聞こえる不協和音の関係で、西洋音階でいうドとレのような隣り合う音です。

親鸞聖人は、阿弥陀さまのお浄土の世界では、その不協和音が調和していくと示してくださいました。自分の音も相手の音も、ぶつかり合うことなく響き合っていくということです。

不協和音・・・真っ先に思いついたのはAさんとの関係でした。「こちらは誠意をもって話しかけていて、ちゃんと対応しているのに、Aさんはなんでそんなことを言うのだろう?」とばかり思っていました。

しかし、よく考えてみると、不協和音の原因となっていたのは、自分の主張ばかりして、なぜわかってくれないのかと相手だけを責めていた自分の姿でした。その時、Aさんのことを避けようとしていた自分に、恥ずかしい思いがしました。

「宮商和して自然なり」。このお言葉に出あって、Aさんとのことだけではなく、自分が正しいと思いこみ、相手と調和していけない自分の姿に気付かされました。

阿弥陀さまは、私が心地よい音楽のように周りと調和できないことを見抜かれ、放ってはおけないと立ちあがってくださいました。そして、この世の命のご縁が尽きた時、すべてのいのちが調和していける世界をご用意くださっただけではなく、それは今の私にもはたらいてくださっています。

今、私を決して見捨てないはたらきが届いていると思うと、少しでも相手のことを尊重していける生き方をしていこうと思います。Aさんとのことは、どこまでいっても現実を見ようとせず、相手に配慮できなかった自分との出あいにもなりました。嫌な出あいではなく、今では大切な出あいだったと思っています。

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