コスモスのいのち

本願寺新報 2013(平成25)年10月10日号掲載
藤澤 めぐみ(ふじさわ めぐみ)(京都・興禅寺衆徒)

酒蔵の並ぶ川辺に

カット 林 義明

9月16日に上陸した台風18号は、河川の氾濫(はんらん)など、各地に甚大な被害をもたらしました。私の住む京都・伏見の町も、自宅近くを流れる宇治川や桂川が急激に増水し、多くの家屋が浸水しました。宇治川に注ぐ派流も増水し、毎朝の散歩道も水に浸かる勢いでした。数日後、水の引いた川は、濁流に草が引きちぎられ、堤防は泥だらけの無残な姿になっていました。

そんな堤防を見ながら、私は「もう、土手にコスモスは咲かないなぁ」と、一人のご門徒さんとの想い出を振り返っていました。

そのご門徒さんとは、今年9月12日、102歳でお浄土にかえられた山口杉枝さんという方です。私がいつも「スギエばあちゃん」と親しみを込めて呼んでいた方でした。

スギエばあちゃんは、伏見の酒蔵が立ち並ぶ川辺にお住まいでした。90歳を過ぎて息子さんを亡くし、独り暮らしになってからも自宅前の土手に季節の花を育て、人々の目を楽しませておられました。やがてスギエばあちゃんは娘さんの所に身を寄せられますが、スギエばあちゃんがいなくなった後も、自宅前の土手にはいつもきれいな花が咲いていました。

数年前、初秋を迎えたある日のことでした。足が不自由になってお寺まで歩くことが困難になったスギエばあちゃんから、お寺に一本の電話がかかってきました。

「土手に、コスモスがきれいに咲いたから、とりにきて」

私はうれしくなって、自転車でご自宅へと向かいました。玄関を開けるとスギエばあちゃんは、たくさんのコスモスの花束を抱えて・・・ではなく、一本のハサミを持って、私を出迎えてくれました。

一瞬「えっ?」と思いましたが、スギエばあちゃんの電話は「(摘んだものを)取りにきて」ではなく「採りにきて」だったのです。

かみしめて味わう

土手に下りると、一面に赤や紫や薄紅色といった、色とりどりのコスモスが、たくさん風に揺れていました。私は渡されたハサミでその中の一本を切ろうとしたその時です。スギエばあちゃんが大きく手を振りながら「それはだめ~!」と叫ぶのです。「それはまだこれから咲く子どものコスモスやから、まだダメ~!」。またまた「えっ?」と思った私が「じゃぁ、どれを摘んだらいいの?」と聞くと、スギエばあちゃんはこんなふうに答えてくれました。

「それは、これから花開く、子どものコスモスやねん。それは放っておいてもみんなが見てくれる。でも、川岸にある、今にも散りそうな大人のコスモスは、もう花が開ききって、誰も見てくれへん。でも、アミダさまは、いつでもどんな時でも、見つめてくださる方やろ。だったら、その散りそうなコスモス、アミダさまのいらっしゃるお寺で、最後を迎えさせてあげたいんや」

私はなんだか胸があつくなって、今にも散りそうな「大人のコスモス」をいっぱい摘んで、スギエばあちゃんのお宅を後にしました。お寺に着く頃には、開ききった「大人のコスモス」はほとんど途中で散ってしまいましたが、「取りにきて」ではなく「採りにきて」でよかったなと思いました。軸だけになったコスモスのいのちは、アミダさまのまなざしを受けながら、お寺でそのいのちを一本一本、終えていきました。

あれから数年、この9月12日にお浄土へと往生されたスギエばあちゃん。葬儀の時にお孫さんが、スギエばあちゃんの晩年の口癖を話してくださいました。

「粗食とは、よく咀嚼(そしゃく)して美味となる・・・」

百歳を超えて、おそらく噛むこともままならなかったスギエばあちゃんですが、食べ物だけのことではなく、お念仏を噛みしめて、噛みしめて、味わわれた言葉と受け止めました。

豪雨の爪痕は大きく、土手の草花はほとんど流されてしまいました。もう、あのスギエばあちゃんのコスモスを見ることはできないかもしれません。でも、花を通して「いのちのありよう」を教えてくださったスギエばあちゃん。そのスギエばあちゃんが称えていたお念仏が、今、私を育ててくれているように思うのです・・・。

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