報恩講をお迎えして

本願寺新報 2013(平成25)年11月20日号掲載
菅 知尚(かん ちしょう)(広島・宝泉寺衆徒)

〝おとりこし〟

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カット 林 義明

今年も報恩講の時節を迎えました。

親鸞聖人の祥月(しょうつき)命日は、1月16日です。報恩講はご本山でおつとまりになる御正忌(ごしょうき)報恩講(1月9日~16日)をはじめ、各地の別院や全国の真宗寺院、そして門信徒のご家庭でおつとめする宗祖親鸞聖人のご法事です。ご本山の御正忌に先だって、前年の秋の収穫が終わる頃からおつとめする場合が多いので、報恩講は「お取り越し」「お引き上げ」とも呼ばれています。

私の地元の安芸教区では、広島別院から毎月、安芸教区報「見真(けんしん)」が発行されています。私は編集委員の1人ですが、今年も「見真」では、報恩講の時節に合わせて特集号を発行しました。

今年度は、毎月のページとは別に、「親鸞聖人のご生涯」「親鸞聖人と恵信尼さまとの出会い」という二つの特集を組みました。そして編集会議を繰り返す中で、私たちにとって編集作業がそのまま、親鸞聖人の足跡(そくせき)をたずねさせていただく営みとなりました。

一つ目の特集「親鸞聖人のご生涯」では、「お得度」「比叡山」「六角夢想」「吉水入室」「流罪(るざい)」「弁円(べんねん)」「教行信証執筆」「ご往生」と八つの場面の記事を掲載しています。そして今回の編集で実感させていただいたことは、親鸞聖人のご生涯が、筆舌に尽くしがたい苦難の連続であったということです。しかし同時に、親鸞聖人におかれては、苦難の出来事が苦難の状態のままではなかったということです。 

「流罪」の場面を紹介します。

親鸞聖人が法然門下に入った6年後の承元元(じょうげんがん)(1207)年、ついに朝廷が、8人を流罪に4人を死罪に処す念仏弾圧に踏み切ったのです。法然聖人は土佐(高知県)に、親鸞聖人は越後(新潟県)に流罪を命じられ、これがお二人の今生の別れとなりました。

「承元の法難」と呼ばれる、法然聖人75歳、親鸞聖人35歳の時の出来事です。

こうした処罰は、親鸞聖人が怒りをもって明言されるほど、不当な念仏弾圧でした。しかし親鸞聖人は流罪を契機として、越後での布教伝道に心血を注がれたのです。5年で流罪を赦(ゆる)された後も、この地の人々に阿弥陀如来のお救いを伝えるために、2年もの間越後で過ごされました。不当と明言しながらも、ご自身の身に及ぶ念仏弾圧まで仏縁へと転換されたところに、親鸞聖人が残された足あとの一端をうかがうことができると思います。

今・ここ・私

今年の1月、自坊の法要で、ご講師の先生から「お味わい」ということについてお話しいただきました。

真宗門徒の先輩方は、「必ず救う」との阿弥陀如来の仰(おお)せを仰せのままに聞き、仰せのままにたまわる他力の信心を、「お味わい」という味覚的表現を用いられてきました。私は耳慣れたふりをしていた自分に恥ずかしさを感じながら、あらためて「お味わい」の一言に尊さを覚えました。

「幼い頃においしいと感じていたものは、今でもおいしいですか? 幼い頃に苦いと感じていたものは、今でも苦いままですか? 目の前の事実は変わらなくても、私が変わることで味わいは変わるのです。死を迎えるという事実は一つでも、味わいはそれぞれに違います。死んだら同じではありません。行く先が変われば、今の味わいが変わってきます」と。

「生老病死(しょうろうびょうし)」のみならず、親鸞聖人が歩まれたご生涯は、まさに苦難の連続でした。9歳でのお得度、比叡山との決別、流罪、山伏弁円による殺害計画。苦難の出来事は誰しもが避けたいものですが、親鸞聖人は苦難の真っただ中で「必ず救う」の仰せを味わわれました。

かねてより恩師からいただいてきた言葉があります。

「お味わいは必ず、今・ここ・私。聞かせていただくまんまが信心。信心は未来のお救いではありません」

阿弥陀如来のお救いは今なのです。全国の真宗寺院で報恩講がおつとまりになっています。いのちある今、ご一緒に仏縁をいただきましょう。

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