暮らしにお念仏の声を!

本願寺新報 2013(平成25)年12月 1日号掲載
西光 義秀(さいこう ぎしゅう)(布教使)

8年前から減少

カット 林 義明

 日本の人口は、2005年に戦後初めて前年に比べて減少しました。その後の2年間はわずかに増加しましたが、2008年には前年比7万9000人減と大幅な減少となりました。それ以降現在まで、いずれの月においても、人口は前年に比べて減少し、しかも減少率は徐々に大きくなってきています。つまり、日本は人口減少社会となったのです。

 それまでも、少子高齢化が社会構造を大きく変える大変な問題だと指摘されてきましたが、なかなか実感として受け止められませんでした。そのうち、地域の子どもの数が少なくなり、お寺での日曜学校にお参りする子どもたちが激減していきます。

 一方、老人会のメンバーの数が増え、地域社会を支える大きな力になっています。三世代同居の家族は少なくなり、多くの子どもたちは、高校卒業や就職を機に親元を離れるのが当たり前のようになっています。農山村地帯だけではなく、地方都市でさえも、伝統的な行事や風習などの伝承、さらには生活の継続さえも次第に難しくなりつつあります。

問題があるのは私

 そんな状況の中、祖父母世代からその子どもたち、孫たちへの仏法相続が希薄になっています。かつては、両親が仕事で忙しくて子どもとの接触が薄くても、祖父母から孫へと仏法が伝えられてきました。その依りどころは、お仏壇だったのではないでしょうか。しかし、祖父母と孫が共に生活する機会が失われ、お仏壇のない生活では、仏法の相続が難しくなっているのです。

 今や団塊の世代以降の家族では、お仏壇を持たないことが当たり前のようになっています。「亡くなった家族もいないのに、仏壇など必要ない」というのです。しかし、それでは家族に、そして人生に、依りどころとなるものを失ってしまっていることになります。

 こんな時代だからこそ、親元から離れて生活を始めるときには、まずお仏壇をお迎えすることが必要でしょう。お名号などのご本尊だけでもよいのです。簡素であっても、お仏壇が安置されれば、忙しさに紛れてしまっても、フッと気づかされたときにお仏壇に手を合わすことができます。お仏飯やいただき物をお供えするということもできますし、「ナモアミダブツ」とお念仏することも、仏さまを敬う心も、お仏壇があってこそはぐくまれるのではないでしょうか。

 それでも、日常生活に追われ、わが身わが心にとらわれて生きるのが精いっぱいの私たちです。生活の糧としてのお金、さらには仕事や人間関係など、わずらわしいことに追われて、わが心を振り返ることなく一日が過ぎていきます。ましてや仏さまのことなど、すっかり忘れてしまう日も少なくはないでしょう。

 しかし、そんな者さえも、必ず救うとお誓いになられた阿弥陀さまです。いつでも、どこでも、だれでも、どんな状況でも、たもちやすく称えやすい「南無阿弥陀仏」のお念仏となって、私のところにおでましになってくださっているのです。

 世間の目を気にして、お念仏することに抵抗を感じてしまうと、いつでも、どこでもお念仏するということはとても難しいことになってしまいます。それでは、南無阿弥陀仏(名号)が「たもちやすく」「称(とな)えやすい」という阿弥陀さまの願いを、この私が抑えていることにもなりかねません。

 仏法の相続を難しくしているのは、人口の減少でも、家族や地域の変容でもなく、お念仏のこころをいただく私に問題があるとは言えないでしょうか。どのような社会的な状況であったとしても、私自身がいただいたお念仏を称えさせていただくことによって、お念仏の声とそのこころは必ず世に響いていきます。

 お念仏を称える者を必ず救い取るというのが阿弥陀さまの誓いです。お念仏への抵抗やわだかまりがあるのなら、その思いをもって聴聞の席に着き、あらためて阿弥陀さまのおこころを聞かせていただきましょう。お念仏は阿弥陀さまのおこころであり、称名念仏は阿弥陀さまのはたらきなのですから。

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