母のお弁当

本願寺新報 2014(平成26)年8月10日号掲載
橘 行信(たちばな ぎょうしん)(布教使)

売店で何か買うから

カット 林 義明

教区の子どもたちと本願寺に参拝した時のことです。お昼に、持参したお弁当を車座になって食べました。

子どもたちに話しかけながら、私が順に見回っていると、「うわ、ピーマン入っとる。いらんって言ったのに」と、男の子がスパゲティを指さしながら言います。その隣で別の子が、ピラフの中からグリンピースだけを黙々と取り除いています。「サンドイッチがよかったのに」と言いながらおにぎりをほおばる子、注文したものが入ってないと文句を言う子・・・・・・親御(おやご)さんの苦労にただただ同情します。

そんな時、自分が母のお弁当を食べていた時のことを思い返しました。小学生の頃、野球の練習で持たせてもらったお弁当。空になったお弁当箱を自慢気に母に見せていました。中学になると、友達のお弁当と見比べるようになり、思春期の恥ずかしさからか、隠すように食べていた気がします。

高校に入ると給食がないため、毎日お弁当が必要になりました。母は忙しい中で家族の朝食を準備しつつ、毎朝私のお弁当を作ってくれました。けれども私はというと、周りの友人の影響もあってか、日に日に母のお弁当を食べるのが嫌になり、毎度同じ食材を残したり、時にはほとんど手を付けずに持ち帰ったこともありました。無言で茶の間に返したお弁当箱を、母はどんな顔で洗っていたのでしょうか。そしてどんな思いで次の日のお弁当を作っていたのでしょうか。

ある日、「もうお弁当いらんで、売店で何か買うからいいわ」と母に言いました。母は何も言わず少しうなずき、次の日からは昼食代を私に持たせました。その時の私は、これで自分の好きな物が食べられると喜ぶだけでなく、母の手間を省いてやったとさえ思っていました。

命の原動力

昼食代は次第に私のお小遣いの一部と化し、何か欲しい物があるとお金を貯めるため、飲み物だけで昼を乗り切ることも多々ありました。母はそのことを知ってか知らずか、いつの日からか昼食代と共におにぎりを添えて渡すようになりました。断る私を制して母は「持って行きなさい。食べんかったらそれでいいし」と言い、かばんにおにぎりを詰め込みました。

当時の私は、そのおにぎりに頼ることもありましたが、母のお節介としか受け取れませんでした。そのおにぎりに込められた親心を知らされたのは数年後、ご門徒さんのご法事での会食の席でした。

給食がない時代、幼い頃に母親に持たされたおにぎりや芋(いも)を思い出して、「お母(かあ)のあれはうまかったなぁ」と互いに懐かしむご兄弟。学校までの遠い道のりを歩く毎日、母親のお弁当だけが原動力だったと言い切られました。物不足の時代にもかかわらず、子どもの成長だけを願って母がこしらえたお弁当・・・。

「どこにいようがお前たちを思っているよ」という母心が、家では手料理として、外ではお弁当として子に届けられる。子はそのご飯を食べ、お腹(なか)におさめる。そして肉や血となり、子をたくましくさせる。単に空腹を満たすための食料ではなく、苦労をいとわない母の親心だとわかっていたから、このご兄弟は何十年経とうと忘れず、味を思い出すことができ、うれしかったと言えるのでしょう。

考えてみますと、私が聞かせていただいている南無阿弥陀仏の名号もまた、「どこにいようともいつでもあなたを思っているよ。安心しなさい」という阿弥陀さまの本願が込められた喚び声です。南無阿弥陀仏はわずか六字の言葉です。しかしその六字には、私を思ってくださる親心やご苦労が満ち満ちていると知れば、六字の名号の称えやすさや忘れにくさは自ずと有り難みと強みとして感じられるのではないでしょうか。

母のお弁当には親心のすべてがそこに詰まっており、渡されたおにぎりは「あなたを思っている母がここにいる」と、欲に迷う私に知らせるためだったのでしょう。お念仏を称えるたびに「そばにいるからね」と親心を感じられる喜びが、私に安心を与えてくださり、命の原動力として心身に染みついていくことが「お念仏を味わう」ことなのでしょう。

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