原爆を知らない人たちに

本願寺新報 2014(平成26)年8月20日号掲載
高蔵 信子(たかくら あさこ)(広島・報恩寺前坊守)


爆心280メートルで被爆



カット 林 義明


8月6日、ヒロシマは69回目の朝を迎えました。私は爆心から280メートルの勤務先で被爆しました。19歳でした。奇跡的に一命は取り留めましたが、骨髄性異形症候群という難病のため、新しい血液があまり作れず、いま生きているのが不思議なくらいです。

あの時、即死された多くの遺体を見て私も覚悟しましたが、おかげさまで生かしていただいています。しかし、何も知らず、何も言えずに亡くなった多くの人たちがいます。どうか、二度と戦争のない平和な世の中を築いていってほしいと思います。


今からもう40年ほど前、私がつくりました次の詩を、NHKで朗読したことがありました。



「原爆を知らない 幼い人たちに」

その時昭和20年8月6日
午前8時15分
とてもよく晴れた朝でした
赤ちゃんのミルクをつくっていたお母さん
植木に水をやっていたおじいさん
仏さまにお花をあげていたおばあさん
ごはんを食べていた坊や
会社に出てこれから仕事をしようとしていたお父さん
そして仕事にゆくために道を歩いていたたくさんの人
みんな死んだのです

原爆を落とされることなど何も知らないで
いつものように用事をしていたのに
突然「ピカッ」と光って
「アッ」と気がつくまもなく
家の中にいた人は家ごと押しつぶされ
道を歩いていた人は吹き飛ばされ
顔も手も足もからだ中
ヤケドをして広島中の人がみなヤラれてしまったのです
たったひとつの原爆で

その時死んだ人
百人?いいえ千人?いいえ一万人?
いいえもっともっとたくさんの人
かぞえきれないほどの人が
なんにも言えないで
なんにも知らないで
死んでしまったのです
ほかの人も大ヤケドをしました大ケガもしました
投げ出されておなかのやぶれた人
背中の骨が折れてしまった人
からだ中にガラスのつきささった人
服などだれも着ていません
焼けてちぎれてなくなったのです

原爆が落ちてすぐ火事になりました
広島中が火事です
どこからどこへにげたらよいのかわかりません
それでもにげなければにげなければ
みんなハダシです
燃えている火の道
われたガラスの上
つぶれた屋根の上
遠く広い火の海を怒りと
悲しみの涙を流しながら
阿修羅のように髪をさか立てて走りました
ケガをしている人の血が流れました
ヤケドをしている人の皮がはがれブラブラになりました
火の竜巻が吹き荒れました
30センチぐらいの火の塊が
なん百なん千と
旋風となって吹き寄せました
火に囲まれて息をするのも苦しく煙のために目もよく見えません

私たちはどうなる?
ケガをしながらヤケドをしながら生きていた人たち
声の限りさけびました
「たすけて、たすけて」
道を歩いていて死んだ人の指が燃えました
青い炎を出してボロボロ燃えました
指は短くなり
うす墨色をした液体が手のひらを伝わって流れ
地面に落ちました
あの指はだれの指だったのでしょう
30年近く経過した今もなお
あの青い炎の色を思いだすとき
私は深い悲しみで
胸がいっぱいになります