ともに会える世界

本願寺新報 2014(平成26)年10月 1日号掲載
中西 正導(なかにし しょうどう)(布教使)

ひざの上が定位置に

カット 林 義明

大切な人を失うと、いくら時間が経っても、遺(のこ)された家族には悲しみや苦しみが大きくのしかかってきます。人生は喜びや楽しみよりも、苦しみや悲しみに直面することの方が多いのではないでしょうか。

お釈迦さまの説かれた教えに「四苦八苦」があります。その中に、愛するものと別れる苦しみ「愛別離苦(あいべつりく)」があります。親鸞聖人の尊敬された七高僧のお一人・中国の善導(ぜんどう)大師も「五苦(ごく)」と顕(あらわ)され、第三代覚如上人の『口伝鈔(くでんしょう)』には、「愛別離苦、これもつとも切なり」と記され、愛するものと別れる苦しみは、さまざまな苦しみの中でも特にきびしいものであると示されています。

私自身も、愛する者と別れる苦しみを経験しました。それは母方の祖母との別れでした。祖母は大柄で、いつも笑顔で、優しく、温かい人でした。私が祖父母の家で両親に怒られると、泣いたり怒ったりした私を、祖母はいつも慰めてくれました。ですので、心安らげた祖母の膝(ひざ)の上がいつも定位置となりました。

祖母とは、学校の休みごとにしか会わなかったのですが、いつも、どんな時でも「ナンマンダブナンマンダブ」と称えていたそうです。

共にお念仏申す

そんな祖母は、毎日決まって夕方の5時になると、祖父と共に仏間で正信偈をおつとめしていました。そして、おつとめが終わったあとも、一人でお念仏を称えていたことを今でも覚えています。

そんな祖母が、体調を崩したのは10年ほど前のことでした。糖尿病になり、目が見えなくなりました。次々に病気にかかり、大柄だった身体もとても小さくなっていきました。

そして、私が中央仏教学院の研究科で学んでいた時のことです。身体が弱りきった祖母を、私のお寺に移して看病することになり、私と母が交互に面倒を見ました。祖母は認知症にもなって、話もなかなか通じず、私のこともわかっているかどうかというほどでした。

そして、ある夜のことでした。あまり口も開かなくなり、私たち家族も「もうあかんかも・・・」と考えるようになっていきました。すると、寝たきりの祖母が、お腹のあたりで手を合わせているのです。祖母の口元に耳を近づけると、小さな声が聞こえてきました。

それは、「ナンマンダブナンマンダブ・・・」とお念仏を申していたのです。

祖母は、最後まで阿弥陀さまに、すべてをおまかせしていたのでしょう。

その後すぐ、いつも私を慰め、かばってくれ、温かく見守ってくれた大切だった祖母を失いました。そして、私は愛するものと別れる苦しみに苛(さいな)まれる日々を過ごしました。

「かくのごときの諸上善人(しょじょうぜんにん)とともに一処(いっしょ)に会(え)することを得(う)ればなり」(註釈版聖典124ページ)

そんな私に『阿弥陀経』のこのお言葉が響いています。

「死に別れていくだけじゃない。再び会える世界がある」と釈尊がお説きくださっているのです。今生(こんじょう)の世界では別れてしまいましたが、共にお念仏申す私たちには、再び会わせていただく世界があるのです。

今生の世界では、別れて、再び言葉を交わしたりすることはできませんが、ナンマンダブのお念仏の中で出会わせていただけるのだと知らされます。

亡くなった祖母も阿弥陀如来のゆるぎないお慈悲の中にあり、私もまた同じお慈悲の中にあり、そこに生かされている私たちは、お浄土で再び会わせていただくことが約束されています。

私がこうして祖母のことをお話しさせていただいていることによって、お浄土に仏となって生まれた祖母が、私に「南無阿弥陀仏」とよびかけてはたらきかけてくれているように感じています。

それを、祖母の姿を通して知らされました。

これからは、私にとって大切だった故人の生き方を偲ぶ中で、再び会わせていただける世界があるという思いを深めて、共にお念仏の道を歩んでまいりたいと思います。

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