究極の乗り物

本願寺新報 2015(平成27)年5月20日号掲載
山下 瑞円(やました ずいえん)(岡山・浄福寺副住職)

半世紀も前に開業

カット 林 義明

私の住む岡山県高梁市から遠く離れた石川県金沢市。今年の3月、東京~金沢間を結ぶ北陸新幹線の開業に伴い、一躍〝時の街〟になりました。

少しさかのぼって、昨年の10月1日。あるニュースが話題に。東京~新大阪間を結ぶ東海道新幹線が1964(昭和39)年10月1日の開業から50周年を迎えました。現在まで走行距離にして約20億キロ(地球5万周に相当)、運んだ乗客のべ56億人。特筆すべきは、その間、脱線、衝突などによる乗客の死亡事故が一度もないことです。

誰もが安心して乗ることができ、安全に目的地まで連れて行ってくれる唯一の交通手段かもしれません。その裏には立案当時から現在に至るまで、関係者の創意工夫、たゆまぬ努力や苦労があってこそでしょう。

例えば、東海道新幹線が走る区間には、トンネルがたくさんあります。できるだけ直線を確保するためです。カーブが多いとスピードも出せませんし、脱線などの大事故に繋がる可能性があります。次に、東海道新幹線の区間には踏切がありません。車との衝突事故を防ぐため、わざわざ高架に敷かれています。人が線路に侵入することも防ぎます。これらの創意工夫があってはじめて、乗客の安心・安全が守られています。

と、簡単に述べましたが、これらの策を講じるのにどれだけの苦労があったか、我々は知る由もありません。少し想像してみると、トンネルを掘ることの大変さ。工事に伴う事故が起こったかもしれません。線路を通す土地を買収するために、幾度も頭を下げて回った関係者の姿。逆に、先人が守ってきた大切な土地を泣く泣く手放した方の姿。線路を高架に造るといっても、コストはもちろんのこと大変な時間と労力がかかったはずです。私たちが知りえない、たくさんの苦労があってこその開業50周年です。

おかげさまで、安心して乗車できます。乗車したその瞬間から、読書をしようが、駅弁を食べようが、はたまたトイレに行こうが...。車掌さんが切符を確認しに来るため、寝過ごす心配もほとんどありません。それぞれが思い思いの時間を過ごす中、東海道新幹線は乗客を間違いなく目的地まで届けてくれます。北陸新幹線をはじめ、今や全国各地を結ぼうと計画されている新幹線。その原点は、50年前の東海道新幹線開業にありました。

お念仏に確かな安心

『仏説無量寿経』には、阿弥陀さまがおさとりを開く前、法蔵菩薩であられたとき、五劫(ごこう)という長い時間の思惟(しゆい)の末に、「すべてのいのちに寄り添い、決して見捨てることなく浄土へ迎えとることのできる仏となる」と誓われ、この誓いを成就するのに、兆載永劫(ちょうさいようごう)という想像を絶する時間を要された内容が説かれます。

皆さんは法蔵菩薩の五劫思惟像をご存知ですか? さまざまな五劫思惟像がありますが、そのほとんどが、ご苦労を表現された痛々しいお姿の像です。

目は落ちくぼみ、頬はこけ、指先までやせ細り、今にも折れそうなあばら骨。現在、浄土真宗のお寺にご本尊として安置されている阿弥陀さまのお姿からは、想像し難い痛々しいお姿が表現されています。

おさとりを開くことが、どれほど大変であられたか。私を救うことがどれほどの大仕事なのか。法蔵菩薩のご苦労が偲ばれます。

私たち一人ひとりを救いの目当てとして、常に寄り添い、決して見捨てることなく浄土へ導く阿弥陀さまの間違いないはたらきが、ご苦労の上に今、「南無阿弥陀仏」の喚(よ)び声となってこの私に届けられています。阿弥陀さまは私たちに生きる意味といのちの行く末を知らせるため、声の仏となることを選ばれました。

家族や子どものことで悩もうが、仕事や人間関係で悩もうが、自身の健康、将来のことで悩もうが...。それぞれの人生を歩む中、そのはたらきに出遇(あ)った時すでに、「南無阿弥陀仏」という究極の乗り物に乗せられているいのちであったことを知らされます。

お念仏申す私の声を通して、唯一確かな安心をいただいています。

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