メダカと仏さま

本願寺新報 2015(平成27)年6月 1日号掲載
嵩尾 憲昭(だけお けんしょう)(富山・専德寺住職)

様変わりした自然

カット 林 義明

西山さんは、間もなく80歳を迎えますが、隣村のお寺の役員の傍ら、ゲートボールやカラオケも大好きな、元気なおじいさんです。

北陸の山間(やまあい)にある戸数100軒前後の集落にお住まいになり、四季折々に移り変わる田舎の風景を何よりも好み、楽しんでいらっしゃいます。

ところが近年、気になるのは、周りの自然が少し様変わりしてきたことです。幼かった頃、家の中まで舞い込んで来たホタルが、最近ではめったに見られません。オニヤンマや初秋の赤トンボの群れも、すっかり少なくなりました。そういえば、うるさいほどだった夏のセミも、トーンダウンしたように感じます。

中でも、小川や水田の水たまりに群れていたメダカが、ほとんど姿を消してしまったのに、少しさみしさを感じていました。

メダカは農薬や生活排水による環境の悪化に加え、用排水路の改修などの影響で、1960年代から全国的に減少しはじめ、2003年には環境省から「絶滅危惧(きぐ)種」に指定されました。

そんな話を、学校で学んだお孫さんたちから聞いた西山さんは、農作業の合間に、谷間の小川や、水たまりなどを注意して見ているうちに、小さなため池に生息(せいそく)している野生のメダカを発見したのです。

早速、水槽を用意して、メダカの飼育が始まりました。

喜んだのはお孫さんたちです。争うようにして飼育係を買って出て、生息していたため池の水を汲んできて、汚れた水と交換したり、水草などを採取してきて、メダカの住環境を整えてやりました。

しかし、熱心だったのは数カ月で、珍しさが薄れると、いつの間にかメダカ係はすっかりおじいちゃんの仕事になってしまいました。

それから10年近く、お孫さんたちは成人し、水槽の中では世代交代を繰り返したメダカが、今も西山さんの玄関に置かれた水槽の中で、元気に泳ぎ回っています。

お説教のアンテナ

2、3年前の秋の夕方です。ひょっこりお寺を訪ねて来た西山さんが、よもやま話の中で、このメダカの経緯(いきさつ)を聞かせてくださり、「犬や猫なら飼い主の顔を覚えるが、メダカは自分たちが誰のおかげで生きているのか識別がつかないようだ」というのです。その証拠に、人影を感じると少しでも遠くへ逃げようとする習性は理解できるが、長年世話をしている西山さんに対しても、全く同じ行動を繰り返すというのです。

そんなメダカを見ているうちに、西山さんはふと、かつてお説教で「仏さまはその存在が余りにも大きすぎるため、私たちは、命まるごとが、仏さまの慈悲の手に包まれてあることにも気付いていない」とお聞きしたことを思い出し、「私とメダカの関係に似ているなあ」と思ったとおっしゃるのです。

また「水槽で生まれた現在のメダカは、それ以外の世界を知らないから、水槽の中が全世界だと思っているに違いない」と考えられました。

つまり、私たちは、仏さまの大いなる御手(みて)に包まれてあるとも知らず、そのお姿に背を向けその手から抜け出すような生き方をしていないだろうか。そして、世の中のことはほとんどわかっているつもりでいるものの「実はメダカと何も変わらない生き方をしているのではなかろうか」というのが、西山さんの感想です。

お説教を他人事として聞き、単なる知識か、教養の一端としてしか受け取らない私がいますが、西山さんのように、何回も繰り返して聞かせていただく中で、耳の底に残ったお話しがアンテナとなって、「ああ、そういうことだったのか」と気付かされるような聞き方があったのですね。ご自分のこととして受け取られ、大げさではなく、淡々として話される様子に、私は大いに感銘を受けたことでした。

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