漆黒の宇宙に輝く宝石

本願寺新報 2015(平成27)年7月20日号掲載
佐々木 義英(ささき ぎえい)(司教)

碧(あお)く美しいオアシス

カット 林 義明

長大な河は、何マイルにもわたって緩(ゆる)やかに蛇行しながら、国を跨(また)いで悠然(ゆうぜん)と流れ、広大な森は、幾(いく)つもの国境を越えて、果てしなく広がっている。そして、ひとつの大海が、異なる大陸をつないでいる。

眼下に展開する景色を見るや「それらは共有のものであり、互いに支えあっている」という言葉が脳裏に浮かぶ。すべてのものは、みなひとつの世界である。(取意)

 

1985年7月29日、フロリダ州のケネディ宇宙センターから飛び立ち、同8月6日に帰還したスペースシャトルの宇宙飛行士、ジョン・デヴィッド・バートゥさんの言葉です。

高度400キロメートル上空の宇宙ステーションの窓からは、地表の人工的な構造物など見る影もなく、地球は、漆黒(しっこく)の宇宙に碧(あお)く輝く宝石のように映り、大河も森林も大地も互いに調和して、ひとつの世界を形成しているということでしょう。

凄(すさ)まじいエネルギーを放っている太陽を周回する地球は、その109分の1の直径しかない惑星であるといわれています。そして、その太陽でさえ、全天に点在する恒星のなかではありふれた星の一つであり、太陽の数百倍以上の大きさを誇る巨星も数多く存在しています。私たちは、はかり知ることのできない深淵(しんえん)な宇宙にある、小さな太陽系のオアシスのなかで生きているのです。

かけがえのない星で

地球の誕生から46億年、人類が現れて500万年といわれています。地球の年齢を365日とすると人類の年齢はわずか数時間です。そのなか、私たちはめざましい発展を遂げる一方で、利己的な利潤ばかりを追い求めては自然を破壊し、争いを繰り返しています。

一体、私たちは何処を見て暮らしているのでしょうか。何ものにも代え難い碧い星を前にして、今、自らを振り返る時が訪れています。日常の生活のなかでは、地球規模で起こっているさまざまな悲劇は縁遠いように映るかもしれません。しかしながら、その多忙さに紛れて、同じ世界で生きているという思いが薄らいでいるように思えてなりません。

デヴィッドさんをはじめ、宇宙飛行士の多くは「すべてのものは、みなひとつの世界である」という旨の言葉を残しています。私たちは、この言葉から何を学ぶべきなのでしょうか。

広がれ朋友への思い

釈尊は「すべてのものは移り変わるものであり、一時も同じところに止(とど)まっているものはない」という無常の道理を説いていらっしゃいます。

碧く輝いている地球も、私たち人類も、永遠に存在し続けることなどできるはずもありません。地球を眺めている宇宙飛行士に鮮烈な感銘を与えているものは、あらゆるものが移り変わって行くなかで、互いに支えあって懸命(けんめい)に生きている美しい姿であるといえるでしょう。

蓮如上人の法語などが収録されている『蓮如上人御一代記聞書(ききがき)』には「信心を得たなら、先に浄土に生(うま)れるものは兄、後(あと)に生れるものは弟である」「仏恩(ぶっとん)を等しくいただくのであるから、同じ信心を得る。その上は世界中のだれもがみな兄弟である」(現代語版『蓮如上人御一代記聞書』160ページ)とあります。

その意は「移り変わる世界のなかで念仏を喜ぶものは、浄土にいらっしゃる方々と兄弟であり、それらのものは阿弥陀仏のはたらきのうちに抱かれている同朋(どうほう)である」ということです。

そして、それはまた、わき起こる煩悩に向きあい、悲喜交わる人生に立ち向かっているあらゆる人々に対する、深い慈しみの心からあふれでた言葉であるともいえるでしょう。

漆黒の宇宙のなかで、大地や森林や大海がひとつになって碧く輝いている宝石のように、私たちも、私たち人類がつくりだした愚かな障壁を打ち破り、すべてのものはみな、かけがえのない朋友(ほうゆう)であるという思いを広く伝えていかなければならないでしょう。

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