"ともに生きていく"

本願寺新報 2015(平成27)年9月20日号掲載
定光 大燈(さだみつ だいとう)(広島・西楽寺前住職)

チベット難民を支援

カット 林 義明

インドやネパール在住のチベット難民の支援活動を続けて30年がたちました。ネパールの難民キャンプには特に教育と医療の面での支援を中心にしていますので、必ず学校を訪問します。何度も訪問していると、校長先生ほかスタッフの方など知り合いが多くなります。訪問するたびに新しい経験をしています。

ネパールのカトマンズ郊外にあるチベット難民の学校を訪問した時のことです。着いた時が昼食の時間でした。この学校はほとんど全寮制なので、男子生徒は体育館で、女子生徒は寮の食堂で昼食をとります。

体育館に入った時、ちょうど生徒たちは席に着いていました。いきなり昼食が入っているトレーを額(ひたい)の上に持っていき、食前の言葉らしきチベットの言葉を発しました。食べ物を額の上まで持っていく行為は、私たちが「食前のことば」の最後に「いただきます」と言うのと似ているので驚きました。

私たちも、おつとめの前に聖典を額の前に「いただいて」から開き、おつとめが終わると聖典を閉じ「いただいて」終わることを作法としています。聖典の中の「教え」を敬う気持ちを形に表すわけです。

「多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。深くご恩を喜び、ありがたくいただきます」という私たちの「食前のことば」と同じ意味の心が、トレーを額まで上げるという形で示されているのでしょう。同じ仏教徒の心を感じました。

共生のスローガン

この学校の玄関を入ったところの壁には、英語のスローガンがかけてありました。私なりに解釈しますと「この学校での生活を楽しみましょう。そして幸せになりたいと思うなら、他者を幸せに」という内容でした。

校長室でこのスローガンの話になりました。これは、慈悲喜捨(じひきしゃ)の精神をあらわした言葉で、子どもの時から非殺生(ひせっしょう)、非暴力(ひぼうりょく)の仏教精神を育てるための教育理念の一つであると言っておられました。

また、海外の支援団体から援助された食料などを、学校周辺のお年寄りや障害を持ったネパール人に分けたり、仕事のないネパール人女性にミシンの使い方を教えたりして、「ともに生きていく」という精神の共生教育を行っていると話しておられました。まさにスローガンを実践している姿です。

仏教徒のチベット人の家庭でも、殺生をしないという生き方があります。知り合いになったチベット人の家庭で、子どもが蚊(か)を窓から外へ追い出している姿を見たことがあります。

私たち浄土真宗の生き方にも「いのち」を大切にする、できるだけ殺生をしないという生活スタイルがありました。

広島大学で教授をされていた有元正雄先生の著書『真宗の宗教社会史』には、門徒の生活が、①殺生を嫌う、したがって堕胎(だたい)・間引きの忌諱(きい)による人口増加、②勤勉・忍耐・節倹(せっけん)などのエートス(慣習や雰囲気)をもつこと、③どこに住んでも弥陀の救いに変化がないと郷里に恋着がないこと、とその特徴をあげて、ハワイやアメリカへ多くの門徒が移民していった要素をあげておられます。

私も小さい頃、友達と魚釣りに行った時、それを見ていた人から父に話が伝わり、その晩、父に怒られたものです。食卓には魚があって、寺の子は魚釣りはダメ、その矛盾に不満がありました。でも後にわかるのです。いのちをとってしか生きてはいけない私たちが、できるだけ殺生を避けていくことで、どんなに小さい「いのち」も大切にしていく生き方をまもっているのです。チベット難民の仏教徒もまさに同じ生き方をしておられます。

仏教徒は三宝(さんぽう)に帰依(きえ)します。「三帰依(さんきえ)」を称(とな)えることが仏教徒の証(あかし)です。その三番目、南無帰依僧(なもきえそう)の「僧」(サンガ)をどの範囲まで意識しているでしょうか。サンガをお念仏の仲間から同じ仏教徒の枠まで広げて「同朋(どうぼう)」といただくこともできるでしょう。今年6月にスタートした宗門総合振興計画の基本方針の一つ「自他ともに心豊かに生きる生活の実践」の中に、難民として苦難な状況にある仏教徒を仲間として支援していくことも、その一つににかなうものと確信しております。

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