去りゆく人が残すもの -すべてのいのちがつながっていくみ教え-

本願寺新報 2017(平成29)年2月10日号掲載
西原 祐治(にしはら ゆうじ)(仏教婦人会総連盟講師 千葉県柏市・西方寺住職)

歌人・中城ふみ子

カット 林 義明

  遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受取れ

 東京・杉並区に築地本願寺の墓所「和田堀廟所(びょうしょう)」があります。古賀政男や樋口一葉などの有名人の墓もあります。

 先日、法話に招かれたおり、境内を散策していると、新しい区画の中に故渡辺淳一氏のお墓がありました。『失楽園』などで有名な作家です。私は渡辺淳一氏の小説では『冬の花火』だけ読んだことがあります。

 戦後の代表的な女性歌人・中城(なかじょう)ふみ子(1922~54)を小説で書いたものです。冒頭の歌は、その中城ふみ子が詠(よ)んだものです。

 北海道の帯広に生まれ、20歳のときに鉄道技師の男性と見合い結婚。3男1女を出産し、離婚。乳がんで片方の乳房を切除(1953年)、翌年に再発し、2月に肺臓への転移を宣告されました。そして8月3日に病死、31歳の若さでした。

 亡くなった年に出版した、川端康成の序文を付けた処女歌集『乳房喪失』は、歌集としては異例のベストセラーとなっています。

 渡辺淳一は、中城ふみ子が札幌医大病院で亡くなった時、その大学の医学部1年でした。中城ふみ子とは、直接には会っていませんが、「偶然先輩の医師を訪ねて放射線科の詰め所に行った時、暗い病棟と、そのなかで迫り来る死を待っている人々の群を見た」と、当時、中城ふみ子が置かれていた現場を語っています。

 魚店を営む両親、乳がんの治療、子育て...、子らに残す遺産は、おそらく皆無であったことでしょう。冒頭の歌は、その遺産のない状況の中で、〝命には終わりがあります。その終わりのある命を生きているのです〟という事実を、自(みずか)らの死をもって子らに残し置きますという歌です。

 「死」は、去りゆく人が最後に残してくれる、大切な教えでもあります。

"お念仏になる"

 10年前に往生した父に、生前、「浄土へいったら何がしたいか」と聞いたことがあります。父は僧侶で、食道がんを患い、治癒の見込みもない状態でした。

 私がなぜそのような質問をしたかというと、毎月、訪問する老人ホームで、こんなことがあったからです。

 92歳の老婦人が、いつもお訪ねすると、亡くなられたお父さんの悪口を言うのです。あるとき、「Tさんも、この先、そう長い人生ではありません。お浄土へいったら、お父さんがいるから、直接、なじったらいいですよ」と言うと、寂しい顔をされました。

 そのとき私は、「Tさんは、浄土で父親に会うということが想像できないのだ」と思いました。見て聴いて知って、という自分の常識に納まることしか思えないんだ、そう思ったとき、私は、自分のいのちが終わった後、仏に成って、2500年前の仏さまの教えを直接聞こう...と楽しんだり、意外と自由にいった先のことを思うことができたのです。

 そのような思いがあったので、父に「浄土へいったら何がしたいか」と聞いたのでした。そのとき父は、少し沈黙があって「ん、南無阿弥陀仏の念仏になる」と言いました。

 父が、なにを考え念仏になると言ったかは問いませんでした。しかし今、父から有り難い言葉をいただいたと思っています。

 南無阿弥陀仏...と称(とな)える中に、この念仏のお心を教えてくださった親鸞聖人に出会うこともあります。また、南無阿弥陀仏...と念仏しながら、30代で往生した浄土真宗の伝道に燃えていた友のことを思うこともあります。いま南無阿弥陀仏...と称えながら、この浄土真宗というみ教えにふれる環境に育(はぐく)んでくれた父のことを思っています。

 私たち浄土真宗の者は、お浄土に至ってなき方々と出会うということも有り難いことですが、それ以上に、いまこうして南無阿弥陀仏...と称える中に、先にゆかれた方々とふれ合っていける。これがなんとも有り難いことです。

 中城ふみ子は〝遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受取れ〟と詠(よ)みました。

 私の父は〝父が唯一のものとして残しゆく「南無阿弥陀仏」を子らは受取れ〟と残してくれたようです。父とのご縁が念仏で結ばれている。父だけではない、すべてのいのちとつながっていけるみ教えが浄土真宗という仏道です。

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