ご法義の風邪をひく -死を超えていく人生を歩む-

本願寺新報 2017(平成29)年2月20日号掲載
櫻井 法道(さくらい ほうどう)(小樽市・新光保育園園長 広島市・正向寺衆徒)

咳のようなお念仏

カット 林 義明

 2月は旧暦で「如月(きさらぎ)」ともいいます。「如月」の由来は、寒さに対応するために「着物を更(さら)に重ねて着る=着更着」というぐらい、一年で一番寒い時季を迎えました。暖房のせいで室内は乾燥し、寒暖の体温調整に体力も奪われ風邪(かぜ)もひきやすく、インフルエンザ流行の注意喚起も出される季節です。

 恥ずかしながら、私もこの時期になると、なぜか必ず風邪をひいてしまいます。そんなとき、「石見(いしみ)の才市(さいち)」として知られる、島根県大田市・温泉津(ゆのつ)の里の妙好人(みょうこうにん)・浅原才市さん(1850~1932)の詩(口(くち)あい)をいつも思い出します。

 かぜをひけば せきがでる
 さいちが
 ごほうぎのかぜをひいた
 ねんぶつのせきがでるでる

 本願念仏に出遇(あ)って、意図しなくても風邪をひいたときの咳(せき)のように、お念仏があふれ出ることを喜ばれ、口あいにされました。

 親鸞聖人は「真実の信心はかならず名号(みょうごう)を具(ぐ)す」(註釈版聖典245ページ)と示されました。お念仏が咳のように才市さんの口からあふれでた姿がうかがえます。

 私が学生時代に才市さんのお手次(てつぎ)の安楽寺を訪問し、ご門徒に才市さんの思い出をお尋ねしたとき、その女性は「私は祖母に連れられ、何もわからずにお寺にお参りしていましたが、才市さんはいつも法座では一番前に座られていて、ご法話の途中に〝あたった〟と何回も立ち上がられ、それを数えるのが楽しみでした」と話されたことを思い出します。

 才市さんは法座の中で、聞かせていただいたご法話の内容が自分のことに思い当たった時、「あたった!」と飛び上がり、身をもって納得されていたのでしょう。その姿が、その女性のご仏縁を結ばれるきっかけになったとのことでした。

燃え盛る煩悩の身

 才市さんの姿は、頭に二本の角(つの)がはえている肖像画が有名ですが、自身の中に潜(ひそ)む煩悩が燃え盛る、角の生えた鬼のような姿そのままで救われるという「ご信心」の姿を表したものといわれています。正信偈の「不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)」を、鬼の姿そのままで救われていく合掌の姿で表わされたのでした。

 風邪をひくことは誰しも好まないものですが、才市さんは風邪をひいて咳が出るように「ご法義の風邪をひいた」と、ご本願に出遇えた喜びをわが身に引き当てて、お念仏があふれんばかりに口元からでることを口あいにして再確認されたのでした。

 仏教の原点は、肉体がある限り誰もが避けることのできない「死」を自らの問題として、「死を超えていく人生の道」を示すことです。そして「生死(しょうじ)出(い)づべき道」を求められ、解決の道を示されたのが親鸞聖人でした。

 親鸞聖人は『高僧和讃』に、

 本願力(ほんがんりき)にあひぬれば
 むなしくすぐるひとぞなき
 功徳(くどく)の宝海(ほうかい)みちみちて
 煩悩の濁水(じょくすい)へだてなし
           (同580ページ)

 「阿弥陀如来の本願に出遇(あ)ったものは、人生が空(むな)しく過ぎるということはない。それは大海の水が隔てなく満ちているように、阿弥陀如来の功徳のおはたらきは、煩悩にまみれた私たちにも、分け隔てなく満ちわたる」

 弥陀の本願力に遇うことは、「死」は単なる「死」ではなく「死んで往(ゆ)ける道=浄土への道」であることを示されました。一部の限定された者だけが救われる教えではなく、浄土真宗のみ教えは、誰もが、いつでもどこでも隔てなく、煩悩を抱えたそのままの姿で救われていく、開かれた浄土への道を歩む在家仏教としての道でした。

 2月は一年の中でも最も寒く、風邪のひきやすい季節ですが、才市さんがご法座で率先して一番前の席に座って聴聞され、「ご法義の風邪をひいた」と、角のはえた、煩悩を抱えたまま合掌し救われていくことを喜ばれた姿を思いつつ、ともに「ご法義の風邪」をひかせていただきたいものです。

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