宝の山での生涯 -前坊守の遺産を受け継ぐ人生に感謝-

本願寺新報 2017(平成29)年3月10日号掲載
鎌田 宗雲(かまだ そううん)(中央仏教学院講師 滋賀県愛荘町・報恩寺住職)

小さいまま花咲く

カット 林 義明

 私が入寺したお寺の前坊守(ぜんぼうもり)(義母)が先日、往生いたしました。

 『往生要集(おうじょうようしゅう)』に「宝の山に入(い)りて手を空(むな)しくして帰ることなかれ」(註釈版聖典七祖篇842ページ)とありますが、前坊守の人生は、お念仏の宝の山に入り、阿弥陀さまのお慈悲をよろこぶ生涯でした。

 幼くして父である住職と死別した義母は、坊守と姉妹三人できびしい時代を生きてきました。

  小さきは
  小さきままに
  花咲きぬ
  野辺の小草の
  安けきを見よ

という高田保馬(やすほ)先生の歌がありますが、義母の葬儀を通じて、この歌を思い出していました。先人から何百年と護(まも)ってきたお念仏の生活を、村のご門徒とともに大事にしてきた生涯は、世間からみれば名も知れぬ小さな花みたいな存在でした。しかし、いつもお念仏がこぼれ、笑顔のたえない、ありがたいおばあちゃんでした。お聴聞(ちょうもん)する日暮らしこそが人生の安らぎだと、身をもって伝え続けてくれたありがたい前坊守さんでした。

 蓮如上人は「仏法は世間の用事を差しおいて聞きなさい。世間の用事を終え、ひまな時間をつくって仏法を聞こうと思うのは、とんでもないことである。仏法においては、明日ということがあってはならない」ときびしくおっしゃっています(『蓮如上人御一代記聞書(ごいちだいきききがき)』155条)。

 ご本願はまさに私のためであったと信ずることができれば、人々は恵まれた人生を空(むな)しく過ごすことはありません。お念仏をよろこぶ生活のままが、阿弥陀さまとともに歩んでいる人生だからです。

 甲斐和里子(かいわりこ)先生と弟である足利瑞義和上(ずいぎわじょう)とのありがたい会話が残っています。

 姉の和里子先生が病中の弟の瑞義和上を見舞ったときのことです。

 「あんたは唸(うな)ってばかりいて、ちいっとも念仏がでておらんがな。どうしたことかのオ」と言うと、「いまさらにのう」と返答したそうです。そして、二人はお互いにほほ笑みながらうれしそうにお念仏したそうです。

 和上が亡くなる前日のことです。阿弥陀さまにいだかれてまさにお浄土へ往(ゆ)かんとするとき、「いまさらに...」のお念仏を二人でよろこばれたのです。ありがたいことです。

救急の大悲

 十方微塵(じっぽうみじん)世界の
 念仏の衆生(しゅじょう)をみそなはし
 摂取(せっしゅ)してすてざれば
 阿弥陀となづけたてまつる
     (註釈版聖典571ページ)

と親鸞聖人は『浄土和讃(わさん)』に詠(よ)まれています。

 阿弥陀さまのお慈悲をよろこび、阿弥陀さまを心の支えとしているご門徒はたくさんおられるでしょう。前坊守を偲(しの)びながら、このご和讃をありがたくいただくことです。この和讃から阿弥陀さまがどんな仏さまかがわかります。

 「名義(みょうぎ)」といいますが、親鸞聖人は摂取不捨(せっしゅふしゃ)(摂(おさ)め取って捨てない)から阿弥陀仏の名が成立していると味わっておられます。

 親鸞さまは「信心」や「念仏」を条件として阿弥陀仏が私を摂取するのではなく、むしろ阿弥陀仏の摂取不捨のはたらきによって、信心の身になさしめられるとご理解なさっています。

 浄土真宗のご本尊は『観無量寿経』の「住立空中(じゅうりゅうくうちゅう)」(空中に住立したまふ)からきているといわれています(同98ページ)。善導大師(ぜんどうだいし)はこれを、「立ちながら撮(と)りてすなはち行(ゆ)く。端座(たんざ)してもつて機(き)に赴(おもむ)くに及(およ)ばざるなり」(註釈版聖典七祖篇424ページ)と解釈されて、「立撮即行(りっさつそくぎょう)」の阿弥陀仏といわれています。

 撮(さつ)はつかみとることですから、生死(しょうじ)の世界に迷い苦しむものをつかみとってお浄土につれて行き、仏さまにしてくださる阿弥陀仏という意味です。阿弥陀仏の救いのはたらきが南無阿弥陀仏のお名号(みょうごう)なのです。私を救わんとはたらいているお名号こそが、私を救わんとはたらいてくださっている救急(くきゅう)の大悲なのです。

 このことを領解(りょうげ)していれば、お念仏の日暮らしがそのまま、阿弥陀さまと生きている証(あかし)であると、よろこびがわいてくるはずです。もったいないことです。

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