和顔(わげん)『にこやかな表情』 -日々の生活の中で実践を-

本願寺新報 2017(平成29)年7月 1日号掲載
藤井 邦麿(ふじい・くにまろ)(大分県日出町・正善寺住職)

カット 林 義明

 「布施(ふせ)」といいますと、財物(ざいもつ)を仏さまや僧侶に施すことである、という方程式がすぐ頭の中に浮かびます。もちろんそのような意味も間違いではありませんが、仏教ではもう少し広く深い意味があります。

 「布施」の語は、インドの古い時代の言語(梵語(ぼんご))の「ダーナ」の意訳です。仏教婦人会総連盟作成のパンフレットを見ますと、法施(ほうせ)(真実の仏法を伝え広める)・財施(ざいせ)(金品を分かちあう)・無畏施(むいせ)(恐れを除き、癒(いや)しと勇気を与える)とあります。これを総称して三施といいます。

 次に財物が何一つなくても実践できる七つの布施(〝無財の七施(しちせ)〟といいます)があります。

 ①眼施(げんせ)(あたたかいまなざし)②和顔悦色施(わげんえつじきせ)(にこやかな表情)③言辞施(ごんじせ)(やさしい言葉)④身施(しんせ)(精一杯のおこない)⑤心施(しんせ)(慈しみ深いこころ)⑥床座施(しょうざせ)(人にあたたかい席を)⑦房舎施(ぼうしゃせ)(気持ちよく迎えるこころがけ)と説明されています。

 今回は①眼施を含めた②和顔悦色施について考えてみましょう。

わたしの顔は

 以前、私はある中学校の保護者会に寄せていただきました。会場には約200人、そのうち8割以上が母親でした。そこで私は全員に目を閉じていただき、「皆さんは1日のうちで自分の顔を鏡の中で見る時間はどのくらいですか?」と問いかけました。

 それぞれ時間を区切って、自分の該当する時間のところで挙手をしてもらいました。そして目をあけてもらい「最長の人は1時間30分でした」と言ったところ、会場全体からワァーという声が上がりました。

 目を閉じているので誰かわかりません(ここがミソです)。各自の周辺同士で「あなた?」「ちがうよ!」と、しばらくは次の話に進めませんでした。一段落したところで話を続けました。

 「朝、起きた時、仕事で人に会う時、職場から帰宅する前など、顔や頭髪や服装を整える時の鏡の中を見る顔が一番イイ顔です。合計して1時間30分の時間が長いと思われるかもしれませんが、1日のうち、残りの22時間30分は自分の顔を他の人にみせているのです。毎日の生活で、この時間の自分の顔を考えてみませんか?」と話したのです。

 人間関係で悩んでいる時、仕事で困っている時、体調が悪くて心配な時など、なかなか笑顔はできません。

 私事で恐縮ですが、時々妻とケンカをします。その時、私は私の顔を、妻は自分の顔を、見たことがありません。当たり前のことですが、そのような心の余裕などあるはずがありません。たぶん、目をつり上げ、口を大きく開けている私(妻も同様です)。平常の時、鏡の中で見るすました自分の顔とは全く違っているハズです。

仏さまのお顔は

 蓮如上人は、「他人の悪いところはよく目につくが、自分の悪いところは気づかないものである。もし自分で悪いと気づくようであれば、それはよほど悪いからこそ自分でも気づいたのだと思って、心をあらためなければならない。(中略)自分自身の悪いところはなかなかわからないものである」(現代語版『蓮如上人御一代記聞書』125ページ)と仰(おお)せになられています。

 毎朝のお参りの時、お仏飯をお供えします。阿弥陀さまのお顔を間近に拝んでみますと、眼をパッチリと開いているのでもなく、閉じているのでもありません。私の至らないところについては眼を少し閉じ、少しでも好ましいところがあれば、ほほ笑んで見つめてくれているようなお顔です。ホッとして心が安らぎ落ち着きます。

 〝ほほ笑みは万国共通のパスポート〟という言葉があります。あらためて鏡の前に立って笑ってみましょう。すると鏡の中の顔も笑顔です。

 私たちは毎日多くの人たちと顔をあわせます。また、言葉は通じなくても外国の人とでも笑顔で接すれば心が通じ合う世界が生まれます。自分自身はもとより、周辺もなごやかで明るく、あたたかい雰囲気が生まれてきます。

 そうです。お金も知識も肩書も必要条件ではありません。いつでも、どこでも、だれにでもできるのが「和顔悦色施」なのです。日々の生活の中で精いっぱい実践しましょう。

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