阿弥陀さまのお救い -生と死をこえた真のいのちのあり方-

本願寺新報 2017(平成29)年10月 1日号掲載
釋氏 真澄(きくち ますみ)(元カナダ開教区開教使 布教使)

米兵となった2世

カット 林 義明

 カナダの開教使だった頃、日系二世の方のご葬儀のときに、ご遺族の方から戦時中の故人のご苦労をおうかがいするご縁が度々ありました。

 戦前に北米大陸に移住したほとんどの日系人は、西海岸に暮らされていましたが、戦時中の大陸内部への強制収容という悲劇の裏側で、お念仏のみ教えが日系の方々の心の支えとなっていたことは、残念ながら今はあまり知られていないように思います。

 真珠湾攻撃の後、米国の開教使を含む日系指導者は、スパイ容疑で逮捕・抑留され、大統領令によって約12万人もの西海岸在住の日系人は、土地や家屋を手放し、手荷物だけで、有刺鉄線に囲まれた10カ所の強制収容所に収容されました。

 日系人社会で最大勢力だった本願寺派寺院のほとんどが閉鎖されましたが、容疑が晴れた開教使は、家族や門信徒のいる強制収容所に合流し、各収容所内に仏教会を設立して日曜礼拝・法話会・勉強会、仏青・日曜学校・婦人会などの活動を再開していきます。

 当時の様子を伝える開教使たちの書簡などには、立派な本堂がなくても仏法を聞くには最適な環境だと、逆境を前向きにとらえる言葉や、親鸞聖人の流罪(るざい)と自らの境遇を重ね合わせ、深くお念仏を味わわせていただいているという言葉も見られます。

 日系人がこの戦争で失ったのは、財産だけではありません。あらゆる戦争というものが多くの者に苦しみを与え、別離の涙を流させるように、二世の青年たちは、自分の両親や他の日系人が米国人として認められるために、地獄のような欧州戦線の最前線へと送られて、その多くが死傷されました。戦争への悲歎(ひたん)に満ちた、ある二世兵士の収容所内でのご葬儀では、次のような法話がありました。

 「彼らは今、両親に死を知らせる〝一通の電報〟へと変わり果てたのです。血に染められた見知らぬ山中で、孤独に息絶えていった彼らのことを考えると、どれほど悲しいことでしょう。

 先日、ある兵士の遺品と、次のような手紙が母親に届けられました。

 『オカアサン、マザー。これは僕の下手な日本語で書く最後の手紙でしょう。僕はついに最前線に送られました。長い間育ててくれたこと、心の底から感謝します。もし僕が戦死しても、子どものころから開教使の先生に聞いた仏さまのところに行くので、心配することは何もないです。先生によろしく伝えてください。身体に気を付けて。サヨナラ』

 仏教の教えを受け入れると、先に往(い)った者と後に残った者が一緒になり、浄土で再会できるのです。これが救われるということではないでしょうか。南無阿弥陀仏」
    (原文英語・筆者訳)

究極の依りどころ

 親鸞聖人のご和讃には、

  清浄光明(しょうじょうこうみょう)ならびなし
  遇斯光(ぐしこう)のゆゑなれば
  一切(いっさい)の業繋(ごうけ)ものぞこりぬ
  畢竟依(ひっきょうえ)を帰命(きみょう)せよ
     (註釈版聖典557ページ)

と示されています。

 「畢竟依(ひっきょうえ)」とは、阿弥陀さまのお徳をたたえておよびするお名まえ(徳号(とくごう))の一つですが、「畢竟」という言葉は「究極」「究極的なさとり」を意味し、この言葉をある先生は、これ以上どうにもならないぎりぎりの最後とおっしゃられていました。何もかも失った日系一世、そして死に直面した二世の方々の心の依りどころとは、畢竟依という言葉があらわすような境地である阿弥陀さまのお救いだったのでしょう。

 聖徳太子のお言葉に「世間虚仮(せけんこけ) 唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」とありますが、戦争やテロ、自然災害などにより、あたりまえの日常が突然失われることもあるのです。しかし、究極の依りどころである阿弥陀さまは、私たちの凡情からうまれる苦しみや悲しみの感情を否定することなく、また会える世界、お浄土という確かな行き先と、生死(しょうじ)をこえた真のいのちのあり方をお示しくださっています。そして、私にとって二人の幼い息子が大切な存在のように、大慈悲心を持つ阿弥陀さまにとって世界中のすべてのいのちはわが子のように大切で、互いに傷つけ合うことのない平和な世を願っておられることでしょう。その願いにかなうよう、少しでも努めていきたいと思います。

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