濃密な時間 -すべての苦に寄り添う阿弥陀さま-

本願寺新報 2017(平成29)年10月10日号掲載
竹林 真悟(たけばやし しんご)(布教使 奈良県田原本町・滿誓寺衆徒)

悲しみ一つなく・・・

カット 林 義明

 「あなたがお父さんと一緒に過ごせる時間は、残り13日!」

 あるテレビ番組で、出演者の一人の46歳になるタレントに向けられた言葉です。

 彼が実家に帰省する日数から、入浴やトイレなどの時間もすべて差し引いた、純粋に親と顔を合わせる時間と平均余命、親子の年齢差から導き出した時間だそうです。意外な少なさに、思わず「ええっ」と声を上げました。

 また、その方法で計算すると、子どもが一生のうちに親と過ごす時間の55%を、小学校卒業までに終えてしまうのだそうです。

 私の実家は、昭和40年代から造成が始まった住宅街にありました。お寺などの宗教施設は1件もない所で、家族は共働きの両親と姉・兄、宗教とは無縁の核家族でした。

 私が7歳、兄が11歳の時、両親は家を新築しました。その家を兄は高校卒業と同時に就職で出ましたので、家族5人がそろって家で過ごした時間は8年たらずです。やがて姉も就職で、母は離婚で家を出ます。末っ子の私も、ご縁があって僧侶の道を歩み始める大学卒業まで、約14年で家を出ました。番組で紹介されたように、実際そう長い時間ではありませんでした。

 「無縁社会」「孤独死」-そんな言葉がよく聞かれた年、実家で一人暮らしをしていた父が小脳梗塞(こうそく)で倒れました。発見が早かったのですが、右半身にマヒが残りました。

 退院後も父は自宅での一人暮らしを望み、いったん自宅に戻ります。しかし、遠くに住む兄が何度も都合をつけて父のもとへ通い、なかなか「うん」と言わない父を説得して、やっとの思いで自分の家の近くに引っ越させました。

 父の新しい生活が落ち着きはじめたある日、父から電話がかかってきました。父からの電話なんて初めてのことです。

 言いにくそうに「がんが見つかった。余命半年ほどなんだ...」。突然のことに私は言葉が出ませんでした。

 半年後、父は亡くなりました。葬儀では私が導師をつとめ、遺骨を引き取りました。だけど、悲しみひとつ込み上げてきません。むしろホッとしている感情さえあることに気づいて、がくぜんとしました。悶々(もんもん)とする自分に、きっと父と過ごした時間が短かったからだ...と言い聞かせました。

後悔が喜びへと

 それからしばらくして、父の遺品整理のために、姉・兄の家族らと実家に集まることになりました。

 数年ぶりに入った実家。父がよく過ごしていた居間に入ってびっくりしました。壁には姉と兄、それぞれの子どもが写ったたくさんの家族写真、それに得度(とくど)したてのつるつる頭の私の写真も飾ってあったのです。

 15年もの長い間、いったいどんな思いで父はここで一人で過ごしてきたんだろう...。父の思いに触れた途端、父が自宅に帰りたがった理由と、自分が父と過ごした時間の長短ばかり気にして、家族に向けていた父の思いに気づけなかったことに思い至りました。懐かしさ、うれしさと同時に、止めようのない悲しみがあふれてきました。

 日々お正信偈のおつとめで、「必至無量光明土(ひっしむりょうこうみょうど) 諸有衆生皆普化(しょうしゅじょうかいふけ)」(浄土に至ると、あらゆる衆生(しゅじょう)を導くことができる)とのご文(もん)を頂(いただ)きます。

 阿弥陀さまがお念仏の中に、先立った方々と一緒におられて、常に私を仏の教えに導いてくださると、親鸞聖人はお示しくださいました。

 阿弥陀さまは、悲しいまんま、後悔のまんまで終わらせない、あなたの止まってしまった時間をそのまんまになんかしておけないと、私の悲しみの解決のために、深いお慈悲と、強い願いで、また会える世界をご用意くださったとお聞かせいただきます。

 そして時に阿弥陀さまは、お念仏の日暮らしの中で、「がんで余命半年ほど」と告白せざるを得なかった父の思いに何も言葉が出なかった自分の姿を見せてくださったり、寂しく暮らす父の力になろうとしなかったわが身の勝手さを思い知らせてくださいます。

 だけど、そんな後悔を二度とさせないと、悲しみの分だけ私の歩みの時間を濃密にしてくださいます。

 だって、阿弥陀さまの願いの中で、阿弥陀さまと亡くなった方々、そしてお同行(どうぎょう)とご一緒している、かけがえのない尊い濃密な歩みの時間なんですから。

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