願いに生きること-私をそのままに引き受ける阿弥陀さま-

本願寺新報 2017(平成29)年11月20日号掲載
森 智崇(もり ともたか)(大分県玖珠町 光徳寺住職)

ご法事の中で

カット 林 義明

 近年は、「遠くに住んでいる家族が集まるきっかけにもしたい」と、ご法事の依頼をいただくことが増えてきました。ご家族が久しぶりの再会の中、時折、ご法事もお坊さんに会うのも初めて、という子どもたちに出会います。

 そのようなご法事では、子どもたちに向けて、こんなクイズを出します。どうぞ皆さんも考えてみてください。

 「私は今、一生懸命、追いかけっこをしています。頑張って頑張って走って、私は今、3位の人を追い越しました。3位を追い越した私は、今、何位でしょう?」

 さて皆さんは今、何位とお答えになられましたか?

 子どもたちだけでなく大人も笑顔で「2位!」と答えてくれることが多いです。正解は、3位なのです。3位を追い越しても、私の前には2位の人がいます。ゆっくり正解を説明すると、子どもたちは、初めて会ったお坊さんの私をヒーローのように見つめてくれます。

 さて、このクイズ。実は私自身も答えを間違えた経験がありました。そして、ある友人の言葉をきっかけに、いろんな方へ問うようになったのです。その友人は、つねに頑張れ頑張れと言われ続け、結果を出さないと認めてもらえない環境に懸命に応えようとして、自分自身を見失い、苦しんでいました。そんな時、

 「仏心(ぶっしん)とは大慈悲(だいじひ)これなり。無縁(むえん)の慈(じ)をもつてもろもろの衆生(しゅじょう)を摂(せっ)したまふ」
     (註釈版聖典102ページ)

との言葉をきっかけに、私の存在そのものを無条件で、痛みも悲しみも引き受けてくださっている阿弥陀さまの願いに出あったそうです。

 そのよろこびを、こうも語ってくれました。

 「結果や順位を問題にしないで、私のことをずっと見つめて、知り尽くし、抱いてくれている阿弥陀さんが好き。世間は全くそうじゃなかったけど...。頑張っても、ずっと理解されずに苦しんできたもん。阿弥陀さんが好き。その願いに生きていける」と。

「どうでもいい・・・」

 あるご法事で、いつものようにこのクイズを出したところ、元気に「2位!」と聞こえる中に、小さな声で「3位」という口の動きを見つけました。

 「今、何位って言ったの?もう一度教えて」

 私の問いかけに、その子は小さく「3位」と答えてくれました。

 まわりの子どもたちは、間違っていると指摘して、大変にぎわっています。

 その子に理由を尋ねると、また小さな声で、そして、そっぽを向いて、「どうでもいいし、順位なんて」と答えてくれました。

 その反応には少々ショックでしたが、うれしい返事でした。

 正解を知った子どもたちは、先ほどの態度から大きく変わって、その子をほめています。その様子を見ていた、その子のおじいちゃんが、みんなにこう言われました。

 「私の時代は勝つか負けるか競争しながら、結果を出しながら頑張ってきました。大きな声には従いながら、我慢して頑張ってもきました。それが当たり前でした。そんな経験から、息子にも厳しく接してきたのです。孫にも。

 でも昨年の運動会の後、いつものように徒競走の順位を孫に聞いたのです。その時、下を向いてなかなか返事をしない孫の前に、息子が立ちはだかって言ったんです。

 〝毎回毎回、順位なんか聞くなよ! この子が一生懸命走っていたところを見てたのかよ! 昔から俺は親父(おやじ)のそういうところが嫌だった〟

 はっとさせられました。

 さっきのクイズ、正解は3位でも、みんなが2位と言えば、答えは2位と考えてしまう私がまだいたことも恥ずかしいです。みんなが2位と言う中で3位だと、よく言ってくれました」

 阿弥陀さまの願いをともに聞かせていただく中で、おじいちゃんの言葉をみんなで味わい、ご家族それぞれ帰宅された後も、私と大切な誰かとの有り様や、私を取り巻く社会、世間のあり方が、果たして私たちがほんとうに心豊かに生きていけるものなのかと問い、思い返すご法事のご縁をいただいたことでした。

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