ゆきし母に導かれ -笑顔を絶やさず、お念仏を喜ぶ-

本願寺新報 2018(平成30)年1月10日号掲載
鎌田 宗雲(かまだ そううん)(中央仏教学院講師 滋賀県愛荘町・報恩寺住職)

一滴の水・一枚の紙

カット 林 義明

 私は若い頃から30年ほど、龍谷大学名誉教授の浅井成海(なるみ)先生から浄土真宗の教えを、先生がお亡くなりになるまで学びました。その勉強会の折にうかがった話が、懐かしく思い出されます。

 それは江戸から明治にかけて、臨済宗の高僧として知られた儀山禅師(ぎざんぜんじ)にまつわる話です。備前(岡山)の曹源(そうげん)寺におられた儀山禅師のもとには、弟子の修行僧がたくさんいました。

 あるとき、若い修行僧がお風呂を沸(わ)かしていました。しかし、熱くなりすぎたので、手桶(ておけ)に水を汲んでうめました。そして、桶に残った水を無造作に捨てたところ、それを見ていた儀山禅師がきつく叱責(しっせき)しました。

 「おまえは手桶の残り水を捨てたけれど、一滴の水でもほしい庭の草や木にかけてやったら、どんなによろこぶだろう。一滴の水、一本の草木にも心をかけて生活するのが仏道修行なのだよ」と諭したそうです。

 それを聞いたお弟子は、この言葉から仏教の「こころ」をさとり、名前を「滴水(てきすい)」とあらためて修行をかさね、後に京都・天龍寺の管長となり、滴水禅師と呼ばれる高僧になりました。

 浅井先生は、この話はなんでもないことのようだが、仏教の深い「こころ」が伝えられていると説明してくださったことがありました。

 仏教の教えを学ぶと、「あらゆるいのち」に支えられて、私が生かされているということが知らされてきます。

 浄土真宗の教えを多くの人々に伝えられた蓮如上人は、廊下に落ちていた一枚の紙を拾われ、「仏法領(ぶっぽうりょう)の物をあだにするかや(仏さまより恵まれたものを粗末にするのか)」(註釈版聖典・千332ページ)と言われ、その紙をおしいただかれたといいます。

 「一滴の水」「一枚の紙」を大切にして生きるということは、もったいないから節約するというだけでなく、私をとりまいている「いのち」を大切にして生きていることと言えます。

十億の母がいても

 私はいま、古稀(こき)を前にして、実家の母のことをしきりに思い出します。晩年に母は私の顔をみるたびに、「おまえは、わしをたまにしか思い出さないだろうが、わしはかたときもお前のことを忘れたことがないけんね」と言っていました。

 母は38年前にお浄土に参らせてもらい、続いて父が参らせてもらいました。私はそれからさまざまな出来事の中で挫折を繰り返し、その都度、両親の願いに生かされていた自分を知らされました。

 暁烏敏(あけがらすはや)『母を憶(おも)う歌』370首の中に、

 「十億の人に十億の母あらむもわが母にまさる母ありなむや」

 という歌があります。母を思い出す時、いつもこの歌を思い出して母に感謝しています。

 母の晩年、7年間はパーキンソン病と中風で寝たきりの日々でした。私が帰省すると、「浄土真宗でよかったね。うれしいね」と、よく話をしていました。母は不自由な体でしたが、いつも笑顔のたえない人でした。この時の母の心中が、今なら理解できます。

 親鸞聖人はお手紙の中で、「南無阿弥陀仏にあひまゐらせたまふこそ、ありがたく、めでたく候(そうろ)ふ御果報(ごかほう)にては候(そうろ)ふなれ」(同743ページ)とお書きになっています。無学な母でしたが、心から親鸞聖人のおこころを喜んでいたに違いありません。どんなことよりも、南無阿弥陀仏に遇(あ)うことが、「ありがたく、めでたい」と病床で喜んでいたことでしょう。

 そんな母ですから、同じく聖人のお手紙に、「ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり」(同785ページ)とあるように、お念仏しながらお浄土に往生する身になることを、一番の幸せと生きていたに違いありません。

 私は療養生活をしていた母の念仏相続から、大事な南無阿弥陀仏の宝を受け取りました。母は私をアミダさまのみ心にちかづけてくれた先生でもありました。

 「悪人のまねをすべきより、信心決定(けつじょう)の人のまねをせよ」(同・千330ページ)との蓮如上人がお示しが、心に響いてきます。

 「おほいなる御手(みて)にひかれてゆきませしおん足跡のうるわしきかな」(梅原眞隆和上(わじょう))

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