法話(ご親教)

2015(平成27)年 秋の法要(全国門徒総追悼法要) 【2015(平成27)年11月23日】

真実に基づく生き方に気付く

 本日は、ようこそ全国門徒総追悼法要(秋の法要)へお参りくださいました。この法要は、この1年間にご往生された全国のご門徒の方を追悼する法要であります。亡くなられた方を偲(しの)び、浄土真宗のみ教えを聞かせていただくご縁といたしましょう。

 浄土真宗のみ教えは、今から約800年前に親鸞聖人によって説かれました。親鸞聖人は比叡山で20年間、仏道の修行に励まれます。それは、さまざまな修行を行い、煩悩(ぼんのう)を無くしてさとりを開こうとする道でありました。さとりを開くとは、真実をさとった者と成るということです。物事をありのままに見ることができ、さまざまな悩みや苦しみから解放された人生を送ることになります。

私たちの心のありかた

 しかし、親鸞聖人にとって修行をして煩悩を無くすということは、とても困難なことでありました。『嘆徳文(たんどくもん)』という書物には、比叡山での親鸞聖人のおこころを「定水(じょうすい)を凝(こ)らすといへども識浪(しきろう)しきりに動き、心月(しんがつ)を観(かん)ずといへども妄雲(もううん)なほ覆(おお)ふ」(註釈版聖典1077ページ)と表現しています。

 わかりやすく言うと、動きのない水面を思い浮かべても波が立ち、月を思い浮かべても雲に覆われるということになります。揺れ動く心を表しています。これが、私たちの心でもありましょう。

自己中心の考え方

 親鸞聖人は、比叡山を下(お)り、法然聖人のもとへ行かれます。そして、阿弥陀さまの本願に出遇(あ)われます。それは、煩悩を抱えた私たちをそのまま受け容(い)れてくださるはたらきであります。親鸞聖人は「正信偈」に、「われまたかの摂取(せっしゅ)のなかにあれども、煩悩、眼(まなこ)を障(さ)へて見たてまつらずといへども、大悲(だいひ)、倦(ものう)きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり」(同207ページ)と記されます。阿弥陀さまの願いをそのままきくことができない私に、それでも阿弥陀さまははたらき続けていてくださいます。

 自己中心的なものの考え方しかできない私たちであります。物事をありのままに受け容れることができないから、さまざまなことで悩み苦しみます。阿弥陀さまのおはたらきを聞かせていただき、真実に基づく生き方に気付かせていただきましょう。今日ご参拝の皆さまと共に、今後も阿弥陀さまのおはたらきの中で「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」とお念仏申す暮らしを歩み、み教えを聞き続けてまいりましょう。

 本日は、ようこそご参拝くださいました。

本願寺新報2015(平成27)年12月20日号掲載
(ホームページ用に体裁、ふりがな等を調整しております)

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