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覚如上人650回忌法要 ご門主の法話

命の根本問題が解決 今ここに信心いただく身

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覚如上人650回忌法要におけるご門主法話(ご親教)は次の通り(文責・在編者)

ただ今は、皆さまとご一緒に、覚如上人六百五十回忌法要をおつとめすることができました。まことに有り難いご縁であります。覚如上人は法灯を親鸞聖人、如信上人と受け継がれて、本願寺第三代でありますが、親鸞聖人のひ孫に当たられ、廟堂の留守職(るすしき)としては覚信尼さま、覚恵さまと続く第三代、そしてお寺としての本願寺という意味から言えば、事実上の開創者といっても不自然ではありません。本願寺という寺号も、このときからであります。

さまざまの著作

さて、覚如上人は宗祖親鸞聖人ご往生の後、八年にご誕生になりましたから、直接には、会っていらっしゃいません。しかし、覚信尼や遺弟をはじめ宗祖聖人を良く知っている方々がいらっしゃいました。覚如上人が直接教えを受けられたのは如信上人です。如信上人は昨年本願寺で七百回忌をおつとめいたしましたが、親鸞聖人のおん孫にあたられ、親鸞聖人が関東から京都へお帰りになられた後、親しくご指導を受けられました。私たちの言葉で言いますと、お孫さんとして、宗祖にかわいがられたとも言えるのではないでしょうか。覚如上人は、さらに、歎異抄で有名な唯圓房からも、教えを受けられました。

こうしたことから、覚如上人は親鸞聖人のみ教えやご生涯を後世に伝えるために、宗祖の伝記である「伝絵(でんね)」(御伝鈔・ごでんしょう)や、報恩講の由来となった「報恩講私記」、その他さまざまの著作を残して下さいました。皆さまには、法要のしおり、本願寺新報四月十日号をはじめ、関係の書物をご覧いただきたいと思います。

限りないいのち

覚如上人のお言葉の中で、大事なことの一つは、平生業成(へいぜいごうじょう)、平生に往生の業事(ごうじ)が成弁(じょうべん)するということです。口伝鈔(くでんしょう)には「平生に善知識(ぜんぢしき)のをしへをうけて信心開発(しんじんかいほつ)するきざみ、正定聚(しょうじょうじゅ)の位に住すとたのみなん機は、ふたたび臨終の時分に往益(おうやく)をまつべきにあらず。そののちの称名は、仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ) 云々」(註釈版聖典 903頁)と記されています。

平生からずっとお念仏を続けて臨終にやっと、阿弥陀如来さまのお迎えを得て、確かにすくわれるという考え方ではなくて、平生、今此処(ここ)に信心いただく身となって、往生、成仏が定まり、命の根本問題が解決されるのです。それは、今のいのちが阿弥陀如来さまの限りないいのちに包まれているということです。ですから、阿弥陀さまのお慈悲に支えられ導かれた人生、お慈悲に応え、報いる人生となります。

現代社会では、命が取引や利用の対象となってきました。こうした困難な課題に私たちはどのように対処すべきか、根本に帰って考えたいものであります。

仏力がすべて

覚如上人はご往生が近づいた頃、二首の歌を残されました。その一つに

南無阿弥陀 仏力ならぬ のりぞなき
たもつこころも われとおこさず

と歌われ、浄土真宗の救いは仏力、すなわち、阿弥陀如来のお力がすべてであることを示して下さいました。

このご法要をご縁に南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏申しつつ、共に手を取って歩ませていただきましょう。

本願寺新報2000(平成12)年4月20日号掲載
(ホームページ用に体裁を変更しております)