本願寺について

浄土真宗本願寺派の本山は?

本願寺です(山号=龍谷山)。親鸞聖人(しんらんしょうにん)ご往生の後、京都東山の大谷に廟堂が建てられ、この廟堂が本願寺へと発展しました。第8代蓮如上人(れんにょしょうにん)の時に教線が拡大しましたが、京都を追われ、大阪、和歌山に移転した歴史があります。第11代顕如上人(けんにょしょうにん)の時の天正19年(1591)に現在の地(京都市下京区)移転しました。

本願寺の正式名称は?

正式には「龍谷山本願寺(りゅうこくざんほんがんじ)」といい、一般には「西本願寺」とも呼ばれています。
また、京都の人たちには「お西さん」と呼ばれ親しまれています。

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お参りについて

いつでもお参りできますか?

はい。1年中いつでもお参りいただけます。ただし、季節によって開門・閉門時間が変わりますのでご注意ください。
開門・閉門時間はこちら

御朱印はありますか?

本願寺では御朱印は行っておりません。
参拝記念スタンプを龍虎殿にご用意しております。

お守りやお札はありますか?

本願寺ではお守りやお札はありません。
私たちは日々迷いの世界に生きています。何か悪いことが起こると、自らを省(かえり)みずに人や物のせいにしてしまう、そのような弱い私たちを救わんと阿弥陀さまはいつも見守ってくださっています。そんな私たちにはお守りやお札は必要ありません。阿弥陀さまの願いの中に生かされていることを、お念仏をいただく生活の中で味わい、心から安心して力強く生きて参りましょう。
このような意味から、本願寺ではお守りやお札は扱っておりません。

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教えについて

浄土真宗の教えとは?

阿弥陀仏(あみだぶつ)のはたらきによって信心を恵まれ、念仏する人生を歩みます。この世の縁が尽きる時、浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教え導きます。

聖典とは?

聖典は「お聖教(しょうぎょう)」とも呼ばれ、浄土真宗のすくいの教えが示されている大切なものです。釈尊(お釈迦さま)が説かれた「浄土三部経」(『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』)。親鸞聖人が著述された主な聖教の『正信念仏偈』(『教行信証』行巻末の偈文)『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』。中興の祖・第8代蓮如上人のお手紙『御文章』などがあります。蓮如上人は、「本尊は掛けやぶれ、聖教はよみやぶれ」と、ご本尊にお礼をすることとお聖教をつねに拝読することを勧められています。お聖教は、釈尊や親鸞聖人をはじめとした方々が心血を注いで、浄土真宗の本義をおさとしくださったものです。
何回も繰り返し読み、言葉の意味をよく噛みしめ、味わうことが大切です。お寺でご法話を聞くなどして、正しいみ教えを味わっていくようにしましょう。

宗祖は?

親鸞聖人(しんらんしょうにん)です。承安3年4月1日(1173年5月21日)に誕生され、9歳で出家されました。比叡山で20年間厳しい修行に励まれましたが、さとりへの道を見いだせず山を下り、法然聖人(ほうねんしょうにん)の導きで、自分にとって専修念仏(せんじゅねんぶつ)こそが唯一の道であると気付かれました。
35歳の時には、念仏弾圧で越後(新潟県)に流罪となられましたが、その後、関東へと移られ念仏のみ教えを広められました。
晩年は、京都で『教行信証』や『和讃』などの執筆に力を注がれ、人々にみ教えを伝えられました。弘長2年11月28日(1263年1月16日)に90歳で、往生されました。

お祈りはしないと聞きましたがなぜですか?

浄土真宗は「祈りなき宗教」です。私の方から祈ってすくわれるのではなく、むしろ逆に、阿弥陀仏の方から「悩み苦しむあらゆる人々をすくいたい」と願われ、そのはたらきによって私がすくわれていくところに、浄土真宗の真髄があります。
自分の生き方や考え方などの自己点検を繰り返すのが本来の仏教。「病気が治りますように」とか「試験に合格しますように」など、自分の欲望を仏さまに押しつけるような行為は、仏教の因果(いんが)の道理(どうり)からもありえないことです。ですから、浄土真宗は自分勝手な祈りを説きません。
しかし、頭ではわかっていても、自らが大切とする者のために祈らずにはおれない不完全な存在なのです。その願わずにはおれない人の心を、阿弥陀仏は大きなお慈悲の心で包んで抱きとめてくださっているのです。
私たち人間が不完全であるということを阿弥陀仏は見通され、私たちが願うよりも先に、すでに私たちに向かってはたらきかけていてくださいます。ですから、そのはたらきをそのまま受け容れ、感謝する以外にないのです。

ご本尊は?

阿弥陀如来です。「阿弥陀(あみだ)」とは、インドの言葉「アミターバ」(無量光(むりょうこう))、「アミターユス」(無量寿(むりょうじゅ))の「アミタ」(無量)を音写した言葉です。阿弥陀如来とは、「無量光」と空間的に制約のない救済活動を表し、「無量寿」と時間的に制約のない救済活動を表しています。無限にすくいを届けられる仏さまなのです。
この阿弥陀如来を表して親鸞聖人は南無阿弥陀仏、帰命尽十方無礙光如来、南無不可思議光如来などの名号を書かれました。これが「名号本尊」「尊号」と呼ばれるものです。また、阿弥陀如来をお姿で表したご本尊が「絵像」や「木像」です。
これらのご本尊は、苦悩の底に沈み、自ら抜けきることのできない者のために、阿弥陀仏の方から、その中に入りこみ苦悩の者を助けるという阿弥陀如来の究極的なお慈悲のはたらき(本願他力)を表したものです。
ご家庭のお仏壇は、ご本尊を安置し、私が阿弥陀仏のお慈悲にあい、気付かせていただく場です。「うちには亡くなった人がいないから、仏壇はまだいらない」というのは誤りです。

「戒名」ではなく「法名」というのはなぜですか?

浄土真宗では「戒名」とはいわず「法名(ほうみょう)」といいます。浄土真宗は厳格な規律である戒律を授かる教えではないからです。必ずすくい浄土へ迎えとるという阿弥陀仏のはたらきを「法」と呼び、その法のなかに生かされる私たちがいただく名前であるので「法名」というのです。出家せずに浄土真宗の教えのもとに社会生活を営む仏教徒としての名前です。
法名は、帰敬式(ききょうしき)を受けて授与されます。「仏弟子」となった証しとして本願寺住職(ご門主)から名づけられる「釋○○」という名前です。「釋」の字を冠するのは、釈尊の弟子となることを表しています。「○○」の2字は、すべてお聖教(しょうぎょう)のお言葉からです。
法名をいただくということは、み教えの言葉を人生の鏡として生きていくことの表明でもあるのです。ですから、「法名は死んでからの名前」ではありません。今日、ただ今の私たちが、阿弥陀如来のお慈悲に支えられ生かされていることに気付かせていただくのです。帰敬式を受式して、法名をいただきましょう。

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ご支援・ご相談について

いろいろな悩みなどの相談をしたいのですが?

本願寺では「いのちと念仏」相談センター専用電話の開設し、「教学相談」「心の悩み相談」についてお伺いしております。
また、お時間をいただきますが専門家による対応も行っております。(担当:総合研究所)
総合研究所 「いのちと念仏」相談センター

法律に関するご相談は、宗務総合庁舎1階東棟ロビーにて毎月第1火曜日午後に無料法律相談を行っております。(担当:社会部社会事業担当)
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