しょっちゅう
「あの子はしょっちゅう、ゲームばかりやっている」
「あいつは、しょっちゅう、遅刻している」
いつも、常に、終始というときに「しょっちゅう」という言葉を使います。
えっ、これも仏教語? まあ、そんなに驚かないで、話を聞いてください。
お釈迦さまが説法をはじめられて、六十人の弟子ができたときのことです。彼らを集めて、
「弟子たちよ、汝らは世の束縛を脱して、心の自由を体得した。これからは世の人びとの利益と幸福のために、諸国を遍歴せよ。二人して一つの道を行くな」 と、宣言されました。
そしてさらに「初め善く、中ごろも善く、終わりも善く、道理と表現を兼ね備えた法を説け」と諭されたのでした。
『法華経』にも「正法を演説したもうに、初善、中善、後善なり」とあります。
この「初中終」が訛って「しょっちゅう」となりました。
だから、この言葉は、善いことに使ってもらいたいものですね。