伝え継ぐ大切さ-阿弥陀さまの願いがいま私のもとに-
苅屋 光影
布教使・広島県福山市・光行寺住職
「体験」はなくとも
皆さんにとって大切な日はいつでしょうか。
私たちには人生の中で特別な日があります。その特別な日は、私にとって大切なことを受け継いでいく日だと思います。例えば、私が生まれた日は、いただいたいのちを受け継いでいく日です。大切な方との今生の別れの日は、その方の人生を受け継いでいく日です。そのように、私にとって大切な日とは、受け継いでいく日であると教えてもらった言葉があります。
4年前の2019年6月23日、沖縄全戦没者追悼式で朗読された平和の詩「本当の幸せ」という小学生の詩でした。その朗読を聞いていますと、「伝え継いでいく」という言葉が聞こえてきました。語り継ぐ、歌い継ぐ、という言葉は聞いたことがありましたが、「伝え継いでいく」という言葉は初めて聞きました。
知らない世代が増えている 体験したことはなくとも 戦争の悲さんさを 決して繰り返してはいけないことを 伝え継いでいくことは 今に生きる私たちの使命だ 二度と悲しい涙を流さないために この島がこの国がこの世界が 幸せであるように (一部抜粋)
私は「伝え継いでいくこと」という言葉を聞きながら、これまでご門徒から教えていただいた戦争体験のお話を思い出しました。記憶の中にある戦時中の体験を、一生懸命、私に語り伝えてくださいました。それは、戦争という過ちを決して繰り返してはいけないという願いを受け継いでいくことだと教えていただきました。
今年は戦後78年を迎えます。6月23日は沖縄において大切に受け継がれてきた沖縄戦終結の日です。広島で育った私にとって8月6日は「原爆の日」として、二度と過ちを繰り返さないように大切に受け継がれてきた日です。同じように全国各地にはそれぞれ大切に受け継がれてきた日があります。その大切な日を通して、先人が伝えてくださった願いをこれからも受け継いでいくことです。
七回忌のご法事
以前、ご門徒のおばあちゃんが、ご主人の七回忌をつとめられた時のことです。半年ほど前にご法事の連絡をいただき、ご自宅でおつとめする詳細を決めました。ところが、1週間ほど前、おばあちゃんから連絡があり、自宅ではなく、お寺の本堂で法事をさせてほしいと言われました。
私は、おばあちゃんもご高齢になられたので、自宅でおつとめするのは何かと大変なのだろうと思いました。
当日、お寺でご法事をおつとめし、その後、ご家族とお茶を飲みながらゆっくりとお話しをしました。そして最後におばあちゃんが、「私も年を重ねましたので、ご法事ができるのも今回が最後になりそうです。後は息子が法事をしてくれると思います」と私やご家族に伝えられました。
すると息子さんが、おばあちゃんに、「ところで今回はなぜお寺の本堂で法事をしたの?」と聞かれたのです。
私は前もってご家族で相談されてお寺でつとめられたと思っていましたので、少し驚きました。
すると、おばあちゃんは、「家族には相談せずにお寺で法事をすることを勝手に決めました。今回の法事が私にとっては最後になるかもしれません。そこで私は人生の最後に何を家族にのこせるだろうかと考えました。何もできなくなってきた私ですが、人生の最後に、子や孫たちを本堂の阿弥陀さまの前に座らせてやることはできると思いました。私のわがままを聞いていただき、ありがとうございました。今日はお寺にお参りできてよかったです」と、よろこんで帰っていかれました。
私もご家族も、おばあちゃんの思いを聞かせてもらって本当にうれしかったです。そして、そのご法事は、おばあちゃんの願いによってととのえられたご縁であったことを、あらためてよろこばせていただきました。
阿弥陀さまという仏さまも、同じように私たちに願いをかけ、ご縁をととのえてくださっています。あらゆるいのちが安心して人生を生き、安心していのちを終えていけるように願いを建て、完成してくださいました。その願いが受け継がれ、いま私のもとに届いています。先人が伝えてくださった阿弥陀さまの願いを大切に受け継ぎ、伝え継がせていただきましょう。
(本願寺新報 2023年04月20日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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