深く知る、仏事・行事

「恩」という言葉-報恩講に寄せて

2020/01/28

なされたことを知る

 「恩」という言葉を皆さんは日々の生活の中でどれくらいお使いになっているでしょうか。代表的な表現として「恩返し」という言葉がありますが、「恩」は返しきれるものという考え方があるように思います。

 「恩」はご承知のように恵という意味ですが、その原語とされるものは『仏教語辞典』にパーリ語の「カタンニュー」で「なされたことを知る者」とあり、「恩とは、何がなされ、今日の状態の原因は何であるかを、心に深く考えることである」と解説されています。ここから考えますと、恩とはこちらから求めて「なされたこと」ではなく、求めるより先に「なされたこと」であり、決して見返りを求められるものではないと受けとめることができます。しかし、私たちは果たしてどれほどの「なされたこと」を知っているのでしょうか。

 

返しきれない恩

 22年前、先代の住職であった父がクモ膜下出血によって急逝しました。悲しみと混乱の中、当時高校生だった私は、後継者としてその重圧から逃げ出そうとしていました。そんな私に大学生活を送る猶予を与えてくれたのが住職代務を担ってくれた大叔父でした。

 その大叔父が一昨年、当寺の報恩講が営まれたその日に往生の素懐そかいを遂げました。ご葬儀での弔辞を任された私は、あらためて大叔父が「なされたこと」をご門徒そして坊守であった母から知らされました。

 「雨の日も雪の日も自転車でお晨朝じんじょうのおつとめのために通ってくださり、時に転ばれてけがをされても、休まれることはなかった」「法務の空き時間には、器用にお仏具のお手入れや本堂の補修をされていたなぁ。そう言えば、本堂の講演台はすべて手作りされたものだよ」「誰よりもあなたの帰りを待っていた。でも、それを決して焦らなかった方だよ」

 知ったつもりで弔辞の最後を「ご恩返し」とまとめようとしていた自分が恥ずかしくなりました。私は、今まで所詮知った範囲でしかお礼を申せていなかった。あらためて「なされたこと」を知らされて、生涯をかけても返しきれない尊いお育てをいただいていたのだと痛感したのでした。

 毎日おつとめさせていただいている「正信偈」は、親鸞聖人が著された『教行信証』というご書物の「行巻」にあります、聖人は「正信偈」をお書きになろうとするお気持ちを「しかれば大聖(釈尊)の真言(真実なる教え)に帰し、大祖(七高僧)の解釈に閲して、仏恩(阿弥陀仏のご恩)の深遠なるを信知して、正信念仏偈を作りていはく」と表していらっしゃいます。

 聖人は、釈尊そして七高僧が、阿弥陀如来さまが私たちを救わんとして「なされたこと」を明らかにしてくださったと心の底からよろこび、そのお徳をたたえて報いていかれたことがうかがわれます。

 ある年の報恩講で大叔父が「正信偈」について、「たとえるならば、阿弥陀如来さまが『南無阿弥陀仏』という薬を完成されて、釈尊はこの薬の効能を説かれ、七高僧はこの薬を大いに宣伝されお勧めくださり、そして聖人はこの薬を服用されて私たちにはそのはたらきを示してくださっています」と聞かせてくれました。

 

恩送り

 私は大叔父の「なされたこと」を知ることもなければ、多くの人々の「なされたこと」も知ろうとしませんでした。しかし、このような者を「見捨てはしない必ず救う」と誓われた阿弥陀如来さまであることを示され、自らも阿弥陀如来さまの誓いを頼りに生涯を送られたのが親鸞聖人です。報恩講は、そのご遺徳を讃えご恩に報いる法要です。ご恩に報いるとは、蓮如上人が「他力の信心をとりて」と仰せのごとく、聖人がなされたように阿弥陀如来さまの誓いのままにお念仏することです。

 聖人の33回忌以来、先人たちは報恩講を脈々と営み、返しきれないご恩と深く感謝し、有縁うえんの人々にその「恩」を送り続け、この私に届けてくださったとよろこばせていただいております。

木賣きうり慈教じきょう

長野市・西敬寺住職

(本願寺新報 2013年10月20日号掲載)

 


 

報恩講とは

 「報恩講」という名称は、親鸞聖人のひ孫である本願寺ほんがんじ第3代覚如上人かくにょしょうにんが、聖人の33回忌かいきにあわせて『報恩講私記ほうおんこうしき』を著されたことに由来しています。

 先年ご往生されたかけはし實圓じつえん勧学かんがくはご法話の中で、「ご開山かいさん(親鸞聖人)さま、ありがとうございました。あなたのおかげで私もあなたと同じお念仏をいただいて、同じ信心をいただいて、同じお浄土で今度は出遇であわせていただきます、とお礼を申しあげる法要が報恩講だよ」とおっしゃられています(『伝道』201 No84・星野親行師の寄稿より)。

 一般寺院や本山、別院などの全国の浄土真宗のお寺でお勤めされる報恩講に皆さまも是非とも参りし、またご家庭でも報恩講をお勤めいたしましょう。

 

●寺院の「報恩講」

 全国の各寺院では一年に一度お勤めされます。本山の報恩講と同じ期日にお勤めする寺院では「御正忌ごしょうき」、本山の報恩講に先立ち9月から1月頃にかけてお勤めする寺院では、「おげ」や「おし」と呼ぶことが多いようです。また、地域によっては、「ほんこさん」と呼んで親しまれています。

 

●本山本願寺ほんがんじ、別院などの「報恩講」

 本山本願寺においては、親鸞聖人の祥月命日しょうつきめいにちにお勤めすることから「御正忌報恩講ごしょうきほうおんこう」といい、毎年1月9日から16日までお勤めします。

 また、東京の築地本願寺ほか、各地における念仏の中心道場として別院、教堂が全国にありますが、多くは、本山の御正忌報恩講に先立ち、9月から1月上旬にかけて「報恩講」をお勤めします。

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