はじめての浄土真宗

はじめまして。浄土真宗本願寺派です。

お寺は、あなたにとってどんな場所ですか。
仏教は、あなたにとってどんな存在ですか。
なにかお願いごとがあるときに行くところ?
身近な人のお葬式や法事のときだけ意識するもの?

現代において、お寺や仏教は「何かがあったときだけ」の接点しか持たない人が多いかもしれません。
けれども、特別なときだけではなく、何気ない日常において
お寺が、仏教が、あなたにとってもっと身近な存在であれたらと、私たちは願っています。

思えば浄土真宗本願寺派のお寺は、いつも人々とともにありました。
その土地に暮らす人々が力を合わせて建て、
地域コミュニティの中心的役割を担ってきた寺院が多いということ。
他の宗派の本堂に比べて、一般の人たちがお参りする場である「外陣」が広くとってあることからも
浄土真宗本願寺派のお寺は、「みんなのお寺」であることがわかります。

宗教や仏教に興味があってもなくても、
悩みごとがあってもなくても、
日常のふとした瞬間に、仏教の考え方を取り入れて
もっと気持ちよく生きられるようになったり、
お寺に訪れて、自分自身や人生を見つめ直す時間を持ったり、
自分が興味を持てる地域活動やボランティア、イベントに参加したり。

そんなきっかけをみなさんにお届けし、
浄土真宗本願寺派がもっともっと「みんなのお寺」、「みんなの仏教」になるために
このサイトは生まれました。
この出会いが、お寺のこと、仏教のこと、
浄土真宗本願寺派のこと、そしてあなた自身のことを
発見するよいご縁となりますように。

浄土真宗とは

浄土真宗は、出会いの仏教

人生は出会いの連続です。
誰かとの出会いによって世界が広がったり
何かとの出会いによって新しい自分に気がついたり
苦しみとの出会いによって深く傷ついたり......。
出会いによる、よろこび、悲しみを繰り返しながら
私たちは今日も生きています。

浄土真宗は、そんな出会いを大切にする仏教です。
特に大切にしているのは、阿弥陀あみださまという仏さまとの出会いです。

阿弥陀さまは私たち一人ひとりを
「かけがえのない尊いいのち」とみてくださっています。
どんなことがあっても寄り添ってくださる仏さまです。

阿弥陀さまとの出会い。
それは、阿弥陀さまに見まもられている
尊い自分自身に出会うことでもあるのです。

阿弥陀さまと
出会えるという、希望。
出会えたという、よろこび。
今、この時代を生きる私たちもきっと、感じることができるはずです。

居場所に出会った親鸞聖人

あなたに居場所はありますか。

普段なかなか気づかないことですが、私たちは、家庭や学校、あるいは社会の中で自分を受け入れてくれる「居場所」があるから、頑張ることができていると言えます。でも、頑張りたくても頑張れないときもありますよね。元気そうに見える人でも、もしかしたら孤独や寂しさにさいなまれて「居場所」を失っているかもしれません。そんな思いを抱いてしまったとき、どのように生きていけばよいのでしょうか。

親鸞聖人しんらんしょうにん(=親鸞さま)も、自分の居場所に出会うために大変な努力をされた一人です。そして、その道のりの末に「阿弥陀さま」という仏さまに出会われました。阿弥陀さまは、出家して修行に励んだり、厳しい規律を守る生活を送ったりすることができない人であっても、どんなに辛いことを抱えている人であっても、いのちあるものすべてをそのままに受け入れ、すくいに導いてくださることを誓われた仏さまです。そんな阿弥陀さまに出会われ、阿弥陀さまとともに親鸞さまは仏道を歩まれました。そして、阿弥陀さまの教えを私たちにわかりやすく伝えるために、浄土真宗という仏教を開かれました。今から約850年前、鎌倉時代のことです。

ありのままの自分との出会い

親鸞さまは、在家出家や老若男女を問わず、さまざまな人と出会いながら仏道を歩んでいかれました。そうするうちに、物欲や誘惑といった"煩悩(ぼんのう)"に右往左往する人間の姿を目の当たりにします。欲望のためには人をも傷つけてしまう鬼のような恐ろしい心を持っているのが人間であり、親鸞さま自身のことだと気づかれます。

それは、今を生きる私たちに置きかえても何ら変わりありません。「ブランドのバッグがほしい」、「新しいスマホがほしい」、「もっとフォロワーが増えてほしい」......。このような願いは、自己中心的な心から日常的に多くの人の心に湧き起こっています。目先のことに一喜一憂して「迷いの世界」で欲望にふりまわされ、苦しむ姿そのものです。

このような私たち一人ひとりをすくおうとされているのが阿弥陀さまなのだということに、親鸞さまは気づかれました。

「あなたのままで大丈夫」。阿弥陀さまとの出会い

鎌倉時代であっても今の時代であっても、生きづらさを感じ、孤独に苦しむ人に向かって「あなたのままで大丈夫」と、居場所となって本当の安心を届けて支えてくださるのが阿弥陀さまです。

人は社会の中で、大勢の人と関わりあいながら生きています。ときには「誰ひとり、私のことを気にかけてくれない、わかってくれない」と思うこともあるでしょう。「何もかもうまくいかない」と落ち込むこともあるでしょう。人との付き合いが苦手でも、心ない人から「負け組」なんて言われようとも、阿弥陀さまは私たちのことを一人ひとり大切に見まもってくださっています。「いつも私がそばにいるよ」と、ありのままのあなたを認めてくださるのが阿弥陀さまなのです。

声の仏さま「南無阿弥陀仏」

南無阿弥陀仏なもあみだぶつ」をご存じですか。もしかしたら、仏さまに願いごとを伝えるときの言葉だと思っている人もいるかもしれません。「阿弥陀さま、どうか私を助けてください」「南無阿弥陀仏、どうか私の願いを叶えてください」というように。でも「南無阿弥陀仏なもあみだぶつ」は、願掛けのセリフではありません。阿弥陀さまが私たちに向かって「私にまかせなさい、あなたを必ずすくうから安心して生きて」とよびかけている、"よび声"なのです。そして、そのことに気づいた私たちが手を合わせて「南無阿弥陀仏」をお念仏としてとなえることは、「阿弥陀さまにおまかせします。阿弥陀さまにおまかせして人生を歩みます」という、感謝の意味となります。

豊かでしあわせな人生へ

私たちの人生には、確かに苦しいことがたくさんあります。自分自身のふがいなさに情けなくなることもあります。でも、私たちの生きる世界を超えた大きなはたらきが私たち一人ひとりを見まもってくれていることに気づけたら、たとえ世界中の人から背を向けられようとも、生きていく大きな力となります。それが"阿弥陀さまとともに人生を歩む"という生き方です。阿弥陀さまに見まもられながら生きていくことで、心がやわらぎ、豊かな人生を送ることができることでしょう。

でも、ひとりではなかなかそこまでたどり着けないかもしれません。「限りある人生を豊かに、しあわせに生きる道」。そのことを聞くことができるのが、浄土真宗のお寺です。そう。あなたが生きていくうえで本当に必要な「出会い」は、もしかしたらお寺にあるかもしれません。何かのきっかけがあっても、なくてもかまいません。お寺に出掛けてみませんか。人生を、そして毎日を豊かに、しあわせに生きるヒントが得られるかもしれませんよ。

親鸞聖人を知ろう

親鸞聖人が、この世界は
生きとし生けるものすべてを救われる
阿弥陀さまという大きな存在に
包まれていることを知るまでには
さまざまな"出会い"がありました。

「逆境」との出会い

親鸞聖人がお生まれになったのは平安時代の終わりごろ。貴族社会から武家社会へ移り変わる中で、大きないくさがたびたび起こり、災害や飢饉ききんなどがくり返し発生した、先の見えない混乱の時代でした。そのような中、親鸞聖人は、「逆境」の幼少期を過ごされました。幼いころに母上を亡くされ、父上とも別れて暮らすことになり、わずか9歳のとき、出家しなければ生きていけない境遇となられたのです。

「深い悩み」との出会い

その後20年間、親鸞聖人は、比叡山で懸命に修行をして「さとり」を求めました。けれど、見えてきたのは自分自身の煩悩ばかり。修行に励めば励むほど、さとりに近づくどころか遠ざかっていく自分の姿がありありと見えてきて、深い悩みの中で青年期を過ごされました。そして、比叡山での修行ではさとりに至ることができないと思い至った親鸞聖人は、29歳のとき、比叡山を去る決心をされたのです。

「法然聖人」との出会い

その当時、京都の吉水というところで、法然聖人という方が「念仏一つでどんな人も救われる」という教えを説いておられました。比叡山を降りた親鸞聖人は、六角堂で得た聖徳太子の言葉に導かれ、法然聖人のもとへ向かいます。これが、生涯の恩師との"出会い"でした。法然聖人との"出会い"は、親鸞聖人の人生を大きく変えました。

「阿弥陀さま」との出会い

法然聖人のもとで学んだ親鸞聖人は、修行もできない愚かで弱い自分を、「かけがえのない尊いいのち」と大切にみてくださる阿弥陀さまという仏さまと"出会い"ました。

阿弥陀さまに"出会う"ということは、その"温かなこころ"に"出会う"ということ。温かなこころに出会うと、生きていることの"意味"が変わります。

これまで生きてきた意味、これから生きていく意味、そして、今、生きている意味......。それは「生かされて生きている、かけがえのない尊いいのち」という意味に変わるのです。この仏さまの"温かなこころ"のことを「慈悲」といいます。

妻「恵信尼」との出会い

親鸞聖人は、法然聖人のもとで恵信尼さまという女性と"出会い"、結婚しました。すべてのものを棄てる「出家」という生き方をすべき僧侶が、妻をめとり家族を持つということは、当時の常識を覆す行いでした。しかし親鸞聖人にとっての結婚は、単に個人的な愛という感情にもとづく行為ではありません。夫婦・家族とともにあることによって、一層、阿弥陀さまの"温かなこころ"をいただいて生きることができる。そんな思いにもとづいた結婚でした。阿弥陀さまの"温かなこころ"に包まれてお互いが相手を尊敬し慈しむ、そんな夫婦でした。

再び「逆境」との出会い

親鸞聖人が35歳のころ、誤解や嫉みなど、さまざまなことが絡みあい、法然聖人の教えに対する弾圧が起こりました。これにより法然聖人は土佐へ、親鸞聖人は越後に流罪となったのです。しかし、阿弥陀さまの"温かなこころ"に"出会った"親鸞聖人は、これを単なる「逆境」ではなく、この出来事もまた、大きなご縁と受けとめておられました。

これまでは法然聖人のもとで学ぶ中で阿弥陀さまの"温かなこころ"を喜ぶ毎日でしたが、これを機に「浄土の教えを仰ぐ人は、わが身の愚かさに気づいて往生するのである」という法然聖人の言葉を受けて、親鸞聖人は自分のことを「愚かもの・親鸞」と名のり、京都から遠く離れた越後や関東に住む人々に、恩師法然聖人から受け継いだ阿弥陀さまの教えを伝えていくという、新たな意義を見出していかれたのです。

阿弥陀さまとの出会いを伝える

50歳を過ぎた親鸞聖人は、自分自身が"出会う"ことのできた阿弥陀さまの教えを、書物に著しはじめられました。その書物を『教行信証きょうぎょうしんしょう』といいます。60歳を過ぎて京都に戻られた親鸞聖人は、その後も『教行信証』の執筆を続けるとともに、その他多くの著述を著されました。それは当時の人々だけではなく、後の世の人々に、阿弥陀さまの"温かなこころ"を伝えるためでした。そのおかげで今、私たちは親鸞聖人の示された教えを通して、阿弥陀さまの"温かなこころ"に出会うことができているのです。

お釈迦様の教え

仏さまとの"出会い"、それは人生の宝物。

あなたには、宝物がありますか?

大切な人からの贈り物、
楽しかったあの日の思い出、
思いがけずかけられた心温まるひと言......

形のあるなしを問わず、一生大切にしたいと思い、
生きていくうえでの支えとなるのが、人生の宝物でしょう。

仏教は、お釈迦さまが「この世界の真理」を見抜かれたところを出発点としています。
お釈迦さまは、その智と慈しみの心をもって
一人ひとりの悩みや苦しみに応じた教えを説かれました。

お釈迦さまが真理に目覚め、仏さまになられてから残してくださった
"仏さまのことば"の数々は、お経という形で
今も時空を超えた真実によって私たちを教え導き、
人生を心豊かに生きていく道筋を与えてくれています。

仏さまとなられたお釈迦さまとの"出会い"もまた、
私たちにとって、かけがえのない人生の宝物となるのです。

仏教の開祖"お釈迦さま"

今から約2500年の昔、インドの北部地方にお生まれになり、"仏さま"となられたのが、ゴータマ・シッダッタ。通称、お釈迦さま(釈尊)です。

釈迦シャカ族の王子(太子)としてお生まれになったお釈迦さま。私たちと同じように人生の思い通りにならない苦しみに直面し、その苦しみを超える道を求めて出家されました。29歳のときのことです。そのとき直面した「苦」とは、老苦(老いる苦しみ)・病苦(病気になる苦しみ)・死苦(死ぬ苦しみ)であったと伝えられています。

出家されたお釈迦さまは、その後すぐに、2人の仙人のもとで瞑想に励みます。しかし、それに満足することができず、5人の修行仲間とともにおよそ6年間にわたる苦行の生活に入られました。それでも、苦しみを根本的に解決するには至りませんでした。

お釈迦さまの「目覚め」

苦行では根本的な解決にならないと気づかれたお釈迦さま。スジャータからいただいた乳粥で体力を回復し、菩提樹のもとで瞑想に入られます。

その末に、とうとう苦しみの原因を見抜かれたのです。苦しみの根本原因とは、無明煩悩(むみょうぼんのう)。自分中心の心で物事を捉え、自分の思い通りにしたいと思う欲望こそが、悩みや苦しみをもたらしていたのです。
そして、無明煩悩から私たちの苦しみが生じてくる過程を明らかにするために観察されます。

こうして12月8日、お釈迦さまは、「真理に目覚めたもの」、"ブッダ"となられました。ここに、"仏さま"が誕生したのです。

お釈迦さまのさとり -智慧ちえの完成-

お釈迦さまが菩提樹のもとで見抜かれた「真理(法)」とは一体、何だったのでしょう。それは、「縁起」の道理といわれています。

「縁起」とは、すべてのものごとは互いに無数の原因となり、条件(縁)となって、一瞬ごとに関わりあって存在している。それ自体でずっと変わらない存在はない、という真実です。

お釈迦さまは、この世界のあり方を、ありのままに見抜いて「智慧(ちえ)」を完成されたのです。

お釈迦さまの生き方 -慈悲の実践-

人生の苦しみを解決する道を発見され、"仏さま"となったお釈迦さま。しばらくの間、さとりの境地をたのしまれますが、インドの最高神である梵天(ぼんてん)からの「どうか人々に教えを説いて欲しい」という求めをうけて、説法の決意をされました。自らのさとりの内容を広く他の人々に伝え、他の人々も同じさとりを得られるように、伝道教化の旅を開始されたのです。

お釈迦さまは、「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」(『スッタニパータ』)と言われます。「慈しみ」の心、それは生きとし生けるものに対する心です。世界をありのままに見る「智慧」は、「慈しみ」の心として動きだし、ともに生きる人々へと向けられていったのです。「智慧」から「慈悲」への必然的展開です。

"出会い"の連環 -弟子たちとともに-

お釈迦さまが最初に語られた相手は、かつて苦行生活をともにした5人の修行仲間でした。これを「初転法輪しょてんぼうりん」といいます。このとき初めて法(教え)を説かれます。

これは、仏教にとって大きな意味がありました。生きとし生けるものに、悩みや苦しみを克服する道が開かれたのです。その後、80歳で入滅されるまでの45年間、お釈迦さまは人々の幸福のために、教えを説き続けられました。

お釈迦さまは、さまざまな人々に"出会い"、一人ひとりの悩みや苦しみに応じて語りかけられました。その"出会い"は、人々を幸せへと導きます。その教えは、次の人へと語り継がれていきます。その言葉の数々は、"仏さまのことば"としてまとめられ、今に伝えられています。これが、お経の始まりです。

ブッダ最後のことば

80歳となったお釈迦さまは、自らの死期をさとり、故郷へ向けた長い旅に出られます。クシナガラの地に赴かれたお釈迦さまは、入滅を前にして、修行者に向けて、次のように語ります。

「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい」 (『大般涅槃経』)

お釈迦さまは、この言葉を残して入滅されました。移ろいゆくものを頼りとすることはまことにあやうい。ただ真実に導かれて生きていく。自らの苦しみを解決する道を求め、怠ることなく生きていく。これこそが、さとりに至る仏教徒のあり方である、と教えられたのです。

仏さまからのあたたかな心に出会うとき
多くの方と互いにつながり、関わりあって生きていることに気づかされます。
仏さまのあたたかな心は、次に出会う人々にも伝わります。

仏さまと"仏さまのことば"を大切にする心は、未来の人々にもつながります。
まだ見ぬ人々の幸せへと結びついていき、それぞれの人生の宝物となるのです。