仏教語豆事典

平常心(へいじょうしん)

日本中の人たちに注目され、緊張した試合にのぞむ選手に、「今の心境は?」と聞いてみたところ、「平常心で戦います」と答えてくれました。特別変わった心境ではなく、いつも練習している普段通りの心です、ということでしょうね。 『無門関(むもんがん)』という禅の書に、唐代の僧、南泉普願(なんせんふがん)と弟子の趙州從諗(じょうしゅうじょうしん)との問答があります。 趙州が「如何(いか)なるか()れ道」と問うたのに対し、師の南泉が「平常心是れ道」と答えるのです。 平常心は「ビョウジョウシン(曹洞宗(そうとうしゅう) ではヘイゼイシンだそうです)」と読みます。 中国禅の実質的な創始者である馬祖道一(ばそどういつ)は、その語録で「何をか平常心と()う。造作(はからい)無く、是非無く、取捨無く、断常無く、凡無く聖無し」といい、「()如今(にょこん)行住坐臥(ぎょうじゅうざが)応機接物(おうきせんもつ)(ことごと)()れ道なり」といいます。 道とは悟りへの道、仏道のことですから、日常ありのままの心がそのまま仏道である、という意味になります。 選手のみなさん、平常心でがんばってください。

本願寺出版社「くらしの仏教語豆事典」より転載